1918年から始まったシベリア出兵時、旧日本軍が300人以上の住民を虐殺したロシア極東アムール州イワノフカ村を訪れた。20年以上も慰霊訪問を続ける岐阜県揖斐川町の僧侶横山周導さん(94)に8月、同行させてもらったのだ。 日本から飛行機と鉄道、バスを乗り継ぐ長旅だ。高齢の横山さんにとって負担は少なくない。それでも前村長で旧知のゲオルギー・ウスさん(94)に「ずっと忘れずにいてくれて、ありがとう」と出迎えられ、笑顔で応じていた。 村には三つの慰霊碑が点在する。小屋に押し込められ焼き殺された36人に向けた碑。銃殺された子供や女性ら257人への碑。そして横山さんやウスさんの尽力で95年に完成した「哀悼の碑」。横山さんは静かに頭を下げ、読経をささげた。 日本ではシベリア出兵はなじみが薄く「忘れられた戦争」とも呼ばれる。7年間続き日本側だけで3千人以上も死亡したが、第2次大戦後のソ連によるシベリア抑留