今は昔、『左翼がサヨクになるとき』(磯田光一,1986)という本があったとさ。島田雅彦のデビュー作『優しいサヨクのための嬉遊曲』に刺激をうけて書かれた面白い評論。この時は、「左翼」が「サヨク」と表記されることに批評的意味があった。左翼が時流からずれ、従来もっていたアウラを失い、滑稽にすらなってきた様をあらわすのに、適切なレッテルの張り替えだったのだ。 その後、特に小林よしのりがこの「サヨク」表記を好んで多用し、一般にもひろく定着した。ネット時代になり、「右翼」も「ウヨク」になった。 ネットがいっそう普及して、レッテルの張り替えは加速する。「サヨク」は、「サヨ」になり、「ネットサヨク」になり、「ブサヨ」にもなった。「ウヨク」は、「ウヨ」になり、「ネットウヨ」になり、「特定ウヨク」にもなった。ついでに「保守」も、「ホシュ」になったりした。例えば、小林よしのりと渡部昇一の『愛国対論』(2002)