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堀江貴文に関するArimaKeiのブックマーク (2)

  • 堀江貴文の意志 (実刑確定のニュースを聞いて) | NextRenaissance (ネクスト・ルネサンス)

    私が堀江さんと出会ったのは、2002年12月の渋谷。まだ雑居ビルにエッジという社名で入っていた頃のことだ。 かつての上司である伊地知さん(後にライブドア上級副社長)に誘われて転職し、社長室 新規事業開発グループのプロデューサーとして参加。後にライブドア社を買収し、自社の社名もエッジからライブドアへと変更して、六木ヒルズへと移転。その後は世間の知る通りの軌跡を描く。 あの事件から5年。 今回の実刑判決のニュースを聞いて、私が感じたのは「悔しい」という想いだ。 若気の至りかも知れないが、当時は真剣に『ITを道具に社会の仕組みを変えることで世の中をよくしたい!』と考えていた。堀江さん、伊地知さんらと7名でライブドア事業部を立ち上げてからの4年間、当にいろんなことがあったが、私が知っている堀江貴文は世間で報道されているような人物ではない。 あるとき、社内レイアウトの変更の為に不用品の整理をして

    堀江貴文の意志 (実刑確定のニュースを聞いて) | NextRenaissance (ネクスト・ルネサンス)
    ArimaKei
    ArimaKei 2011/04/29
    激しく同意する
  • G2|特別鼎談 大震災とインターネット(上杉隆)|第1回:いちばん役に立ったのがインターネット〈1〉

    「震災後の報道も、中東の革命も、戦争のあり方さえも、すべてはネットが大きく変えた」「変わらずにいるのは日のマスメディアだけ」。歯に衣着せぬ自由奔放&音トークで、なにかと敵の多い(?)異端児3人が徹底的に語り尽くした「機能不全大国ニッポン」の姿とは。 堀江 東日大震災が発生した3月11日、僕はロケット打ち上げ実験のために、北海道・帯広市の南に位置する大樹町という町にいたんです。 上杉 そうか。堀江さんの会社は今、新しいビジネスとして、宇宙へ飛ばす小型ロケットの製造開発に取り組んでいるんでしたね。 堀江 そうです。手元にはラジオもないし、電波の状態が悪くてテレビも映らなかった。携帯電話も携帯メールも全然つながらない。いちばん役に立ったのがインターネット、具体的にはネットに接続して使うグーグルのGメールとツイッターです。 iPhoneから被災した可能性のある知人たちにメールを送ると、1時間

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