2006年2月19日のブックマーク (3件)

  • 大学に住む人。 - 記識の外

    猿虎さんのダイアリから。 昔、私の大学では、サークルの部室に文字通り「住んでいる」人がけっこういたんですよね。ていうか、上のエントリで触れたKさんという人がまさにそうでした。部室にベッドをもちこんでいて、彼にとって某部室は完全な生活の拠点となっていました。そういう人は他にもいたように思います。つまり、言ってみれば大学の中に「ホームレス」がいたのです(Kさんはれっきとした学生でしたが)。今でも理系なんかでは実験が忙しくて大学に泊まり込み、というケースならあるのでしょうが、それは、「職場」に「居残る」という意味であって、Kさんのように、大学を〈居場所〉としてそこに「住む」というのとは違うと思います。でも、Kさんのような人は当時からすでにちょっと白い目で見られていたような気もします。 http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20060217 そういえば、僕の出身大学にもこの

    Arisan
    Arisan 2006/02/19
    「あるいは、「公共空間」(そして「公共性」)という言葉自体が、何かを隠蔽するために都合よく使われてしまっていることが多いのではないか、」
  • 杉田俊介氏×白石嘉治氏トークセッション「フリーターとネオリベ現代生活―われわれの生の無条件の肯定のために」参加 - Kawakita on the Web

    ジュンク堂池袋店で開催されたトークセッション「フリーターとネオリベ現代生活―われわれの生の無条件の肯定のために」に行って参りました。 当初は『フリーターにとって「自由」とは何か』の著者・杉田俊介さんと矢部史郎さんのトークの予定でしたが、矢部さんが急遽事情とのことでジュンク堂から前日連絡があり『ネオリベ現代生活批判序説』を編集された白石嘉治さんが代わりに対談されました。 ※要注:以下のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。 まず白石氏から「ネオリベラリズム」とは何か、ということで簡単な事例や説明がなされました。 市場原理主義とは需要と供給ですべての価値が決まってしまうという幻想。 それを実現させるため日常生活の様々な面に圧力がかかってくる状況。 選択の際にあらゆるものが需給のバランスとして認識され、経済的枠組に縛られる。 無理が

    杉田俊介氏×白石嘉治氏トークセッション「フリーターとネオリベ現代生活―われわれの生の無条件の肯定のために」参加 - Kawakita on the Web
    Arisan
    Arisan 2006/02/19
    「短期間に生産・消費されすぐに結果がでるようなものではなく通低音としての怒り・欲望に支えられた表現が重要 」
  • 風刺画問題・他者に向き合うということ - モジモジ君のブログ。みたいな。

    【追記02/20:エントリの主張について、t_keiさんがもっと丁寧に説明してくれてましたね。オススメ。 → http://d.hatena.ne.jp/t_kei/20060212 】 この問題についてはいろいろ迷いがあったのだけども、つい先ほどhokusyuさんからいただいたTBに触発されて考えた。*1 2006-02-13 - 過ぎ去ろうとしない過去 単純化のために、あえて「ヨーロッパ側」、「イスラム側」とひとくくりにする。今回、イスラム側からの批判があった段階で、ヨーロッパ側は「イスラム側の何が一体気にわないのか」を、今度は風刺などではなく(ほのめかしではなく)、堂々と論陣を張って主張すればよかったのだ。偏見も勘違いも全部含めて、ヨーロッパ側は自分たちのイスラム観を堂々とイスラム側にぶつければよかったのだ。当然、イスラム側からは反論が来るだろう。しかし、そこにコミュニケーション

    風刺画問題・他者に向き合うということ - モジモジ君のブログ。みたいな。
    Arisan
    Arisan 2006/02/19
    。「言論の自由を守れ」という言葉が言論の自由を守るために有意味でありえるのは、物理的に言論そのものに蓋をしてしまうことのできる権力に対して発せられる場合に限る。