2010年9月6日のブックマーク (4件)

  • 東浩紀氏のポストモダン・哲学史理解について - さだまさとの日記

    忙しさにかまけて、日記をかなり放置していたのですが、「どの口がそれを……PartII(追記あり)」(http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20100903/p1)というエントリに付けたブックマーク、 「東氏が「カンニングは許せん」と言えても、「カンニングをツイッターで告白するのはおかしい」と言うのは自己矛盾になるということ。ポモ系リベラルとは、まことにハードな立場ですなぁ…。」(http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20100903/p1) に関する補足をここで書いておきます。 ポストモダンについて 同じ記事のブックマーク内でid:y_arimさんが、 ポストモダニストが責任を問うなど笑止千万、ということか。『逆境ナイン』に曰く「それはそれ‼ これはこれ‼」とのことだが…… と

    東浩紀氏のポストモダン・哲学史理解について - さだまさとの日記
    Arturo_Ui
    Arturo_Ui 2010/09/06
    「歴史に意味なんてあるか!」と宣っても、歴史を踏まえずに「脱構築」も「超克」もないわけで。コペルニクスを知らずに「世界はフラット!」と天動説をぶち上げても、乗せられる連中以外は遠巻きに眉を顰めるだけ。
  • 東浩紀が学生のカンニングを見つけた件で思った事

    3年か4年前、ほぼ同じ事例がうちのゼミでもあった。 Twitterじゃなくてmixiか、あるいは当人のブログか、その辺だったと思う。 それを直に目にした教授はどうしたかつーと、 その学生を呼び出して、該当部分をプリントアウトした紙を見せて「これ、君の書き込みかな?誰かに名前を騙られたりしてない?」と問いただす。しかし学生は悪びれもせずあっさりと「いえ、自分ですが」と肯定。教授「あ、そう。じゃあ君、この単位無しね。」とあっさり落第に。卒業に必須の単位だったので落第も確定。事態のヤバさにようやく気づいた学生は猛抗議・土下座するも教授はシカト。挙げ句「右の者、平成xx年度の○○講座に出席する事能わず」と掲示板に張り紙まで出される始末。その学生は卒業する事なく大学を去る。教授は後日こう言った。 不正行為を働いた彼をここから放逐しなければ、それは真面目に勉強しているキミ達への侮辱になるからね。 真面

    東浩紀が学生のカンニングを見つけた件で思った事
    Arturo_Ui
    Arturo_Ui 2010/09/06
    本来あるべき対応の例。学生の愚行はともかく、東のtwitterでの絡み方は社会人的にも哲学の実践的にも間違い//そもそも「ポストモダンで価値が相対化」と「ペーパーテストの点数で絶対評価」の懸隔は哲学者的にOKなの?
  • 解放された常岡さんが犯人像を語る

    常岡浩介☪元容疑者 @shamilsh いくつかのメディアで、「タリバンが誘拐」と、出ているのをみました。犯人はタリバンではありません。クンドゥズのラティブ司令官とタハールのワリーという、現地の腐敗した軍閥集団です。彼らはタリバンになりすまして日政府をゆすっていました。 2010-09-06 03:15:34 常岡浩介☪元容疑者 @shamilsh 「アフガン当局がタリバンと断定」してるので、日メディアもそのまま書いてるケースが多いみたいです。軍閥ラティブはカルザイの顧問サバアウン大臣の、ヒズビ・イスラミ内の部下に当たり、カブールに事務所も持って、政府の人間として堂々と暮らしている人物なので、アフガン当局は事実を発表するは 2010-09-06 05:16:38

    解放された常岡さんが犯人像を語る
    Arturo_Ui
    Arturo_Ui 2010/09/06
    ともかくも御無事で何よりでした//常岡氏はムスリムなので、防衛ジハードを展開するタリバンにとって拉致・拘束すべき理由はないはず。という事情が分かっていて初めて「なるほど」と頷くべき話かもしれない。
  • 村上隆とセルフオリエンタリズム

    叩かれる村上隆。村上隆の言説の問題点と背景について@inumashさんのツイートをまとめました 関連:「村上隆とセルフオリエンタリズム」を受けたツイートまとめ - Togetter http://togetter.com/li/47274 Togetter - 「村上隆批判と村上隆自身および東浩紀による反論など」 続きを読む

    村上隆とセルフオリエンタリズム
    Arturo_Ui
    Arturo_Ui 2010/09/06
    9/18、みんぱくで「博物館と美術館の間―美術から見える現代アフリカの居場所」という講演があります。村上の「現代アート」は商売になるのにアフリカ人が造ると研究対象にされるのは何故か、考えてみたい人は是非。