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文章に関するAsayのブックマーク (201)

  • パルプ小説の書き方(12):「宇宙空間でも爆発音はする」 (逆噴射聡一郎)|ダイハードテイルズ

    よくきたな。おれは逆噴射聡一郎だ。おれはこのオン・ライン講座を通し、一年近くパルプ小説の書き方を教えてきた。おまえは素手にパルプ小説を書くためのノウ・ハウをほぼ全て身につけ、あとは毎日練習し発表していくだけの局地へとたどりついた。ここからは世界とおまえの持久戦だ。 世界がおまえの作品の面白さに気づくのが先か、それともMEXICOの荒野を進むおまえの心の水が先に尽き果て・・・・途中にあったサルーンに立ち寄り1杯のつもりがついつい酒を飲み過ぎ、そのままいい気分で無料Wi-FI-のインターネットを始めて全く関係のないYOUTUBEザッピングにはまり・・・・・・やがて老いて小説も書かなくなり・・・・かわいい孫の結婚式の後、ミカン農園で家族に看取られて死ぬ・・・・・・。うまくタルサドゥームや毒サソリをかわして小説を書き上げたとしても、そのような罠が品質するのがこのメキシコの荒野なのだ。だがもし、サル

    パルプ小説の書き方(12):「宇宙空間でも爆発音はする」 (逆噴射聡一郎)|ダイハードテイルズ
  • 「先生がオメガを倒したら宿題やってきてやるよ」と生徒が言ったので、わたしはゲームライターになった|Yuka S. (or rurune)

    (四半世紀前の思い出。間違い、勘違いがいくつかあります。修正しようと努力しましたが、次第につじつま合わせに必死になり、書き上げた時の情熱を自ら消してしまいかねないと気づきました。なので10年以上も迷って、やっとついに書き上げることができたままの文を残しておきます。) 大学生時代、塾講師のバイトをしていた。理由は金。岩手県で「現役東北大学生が勉強を教えます」とぶん回せば仕事がたくさん来た。家庭教師もしていたが、すぐに塾一に絞った。希少性を高めるため、不便なところを狙った。動機は金。岩手の実家から高速バスで1時間半揺られ、山奥の町の中にあるたったひとつの塾に週3回通った。当時の岩手はのんきなもので、高校進学の選択肢もそんなに多くはなかった。進学校に行くか、そうではない高校に行くか、それぐらい。それでも我が子のよりよい将来を願って、子供を塾に通わせる親が増えてきていた。 両親の願いを背負って送

    「先生がオメガを倒したら宿題やってきてやるよ」と生徒が言ったので、わたしはゲームライターになった|Yuka S. (or rurune)
  • 神戸市:ごろごろ、神戸2

    ごろごろ、神戸2とは インターネット上の文と写真によって深い反響を生み出すブロガーの平民金子さんが、神戸市のエッセイを執筆しました。子供を乗せたベビーカーをごろごろと押しながら、神戸の町を歩き、考えたことを綴ります。孤独と明るさ、笑いと寂寥、愁いと愛。2000年代のインターネットのように、さまざまな濃淡によって描かれた神戸の町の生活の詩をご覧ください。 エッセイ一覧 2017年5月 第1回 ごろごろ、神戸へ 第2回 新しいメリケンパーク、魂のレポート 第3回 なだらかな起伏を駆け上がる 第4回 市バス7番に乗って 2017年6月 第5回 子育て世帯にとっての神戸の住みやすさ 第6回 隧道は今日もすいとう、という話 第7回 私の東京 第8回 市場のある風景 2017年7月 第9回 ニセ神戸人宣言 第10回 スマ!スマ!スマ! 第11回 「あんぱんまん」 第12回 夏とはつまり……(須磨ドルフ

    神戸市:ごろごろ、神戸2
    Asay
    Asay 2017/05/03
    なるほどなあ、行政からは「神戸を気に入って自分から越してきてくれて、しかも素晴らしい文章を書けるひと」なのだ。
  • 私はかつて差別主義者だった、『けものフレンズ』を観るまでは。

    私はかつて差別主義的なケモナーだった。 ご存知のようにケモナーには様々な派閥が存在する。 メスケモ派、オスケモ派にはじまり、マッチョ派、モフモフ派、デブ派、ショタ派(なぜかロリはほとんど見ない)、モンスター派(極左人外連)、トランスファー帝国、肥大化公国、融合辺境伯領、ロイヤル竜奇兵連(ドラゴナーズ)、爬虫人類委員会(レプタリアンズ)、キグルミ派、母性探求派、海生動物会議(「海の人々」)、四ツ足派だけどズーフィリアじゃないもん派(愛ケモ主義的極右)、丸呑みだけが人生だ派、卵胎生出産教会、インターレイシャル(人×ケモ)派、反インターレイシャル派…… 「天はケモナーの上にケモナーを造らず、ただし、ケモナーの横には無限のケモナーを造った」 とは近代日における先駆的ケモナー、福沢諭吉の名言である。 産業革命以降の通信技術の発達は、孤独だったケモナーたちに「同好の士」を発見する機会を与え、ファンダ

    私はかつて差別主義者だった、『けものフレンズ』を観るまでは。
  • 田舎が嫌いだったんじゃなくて、自分が嫌いだったんじゃないか【群馬県前橋市】(寄稿:朽木誠一郎) - SUUMOタウン

    著: 朽木誠一郎 2浪1留で6年制の大学を卒業したら27歳になっていた。不覚である。 大学は群馬県の前橋市というところにあった。人生の4分の1相当の時間をそこで生活したことになる。当時、僕は前橋が嫌いだった。 前橋市内の風景(画像:PIXTA) 前橋にも、そもそも群馬にも、縁もゆかりもなかった。受かった大学に入ったというのが正直なところだ。 赤城山と榛名山と妙義山に囲まれた市内には、大学と県庁くらいしかめぼしいものはない。遊び場は自遊空間かラウンドワンで、車社会だから飲み屋に行くにも運転代行が必要だった。 隣の高崎市は新幹線の停車駅で、セレクトショップやクラブがあり、郊外にはイオンモールもあった。週末はそこいらで過ごしたりしたけれど、そういうのもだんだん面倒になって、仲間内でもっぱら宅飲みをしていた。 内向的な性格というわけではないものの、次第に田舎らしいムラのようなコミュニティーが生まれ

    田舎が嫌いだったんじゃなくて、自分が嫌いだったんじゃないか【群馬県前橋市】(寄稿:朽木誠一郎) - SUUMOタウン
    Asay
    Asay 2016/11/24
    とても良い。今の生活、当時の生活、いずれも後で振り返ったときにまた違った価値を持つであろうことに自覚させてくれる感じの文章。
  • 『1文字○円で書いてもらった記事をGoogleが評価しない理由。今や熱意のある文章を書けることが、最強のSEO対策になりつつあります。 - クレジットカードの読みもの』へのコメント

    テクノロジー 1文字○円で書いてもらった記事をGoogleが評価しない理由。今や熱意のある文章を書けることが、最強のSEO対策になりつつあります。 - クレジットカードの読みもの

    『1文字○円で書いてもらった記事をGoogleが評価しない理由。今や熱意のある文章を書けることが、最強のSEO対策になりつつあります。 - クレジットカードの読みもの』へのコメント
    Asay
    Asay 2016/11/07
    何が熱意だ定義してみろ、とは思う。
  • 昔くのいちを助けたことがある

    その頃東池袋に住んでいた。2008年ころのことだ。 週末の、もう土曜だったか金曜だったか忘れたが、とにかく次の日が休みの日だった。 赤羽からでた最終列車。池袋に到着。下車すれば大いなる酔客の群れ。上り階段に座り込む男。イチャイチャする初老の男女。「お持ち帰り」を狙う若い学生。 タクシー乗り場には長蛇の列。ストリートミュージシャン。人いきれ。8月末の暑苦しい夜のことだ。 喧噪を尻目に帰路につく。向原付近のビルの谷間に、くのいちがいた。正確に言うとエアコンの排気ダストの蔭にもたれ込んでいた。 あの例のお約束の、裾の短い装束。あわてて小刀を携えるが、私が一般人だとすぐに認識して警戒を解き、去るように眼で促す。 私はこの時点で此奴はコスプレでやってるんじゃあない、ガチだ、と認識した。それだけの説得力が、彼女のその少ない仕草から充分に伺い得たのだ。 読者諸君は「まさか」と思うだろう。しかし諸君のなか

    昔くのいちを助けたことがある
    Asay
    Asay 2016/10/14
    なんというか、拾った系ボーイミーツガールものとして読むとすごくしっとりしてて良いな……
  • ブログを書き続けること - mizchi's blog

    昔から気をつけてることなのだけど、ある程度、ブログ、とくに技術テーマ以外の記事を書く頻度はコントロールしよう、と思っていた。具体的には、1ヶ月の間に2, 3回ホッテントリなどに入ることは問題ないが、2, 3ヶ月連続で耳目を引き続けるのは、避けた方がいいのではないか。とくに落ち着いて暮らしたいなら。 中長期的にあまりに注目を引き過ぎると、勝手に記事間の文脈を悪意を持って補完されたり、固定のウォッチ対象にされてしまったりすることがある。粘着なアンチは聞く耳を持たないので無視するに限るが、人間何に反感を持つかわからないもので、自分がコントロール出来ない要素をたくさん抱えると、書くことそのものが億劫になっていく。日常生活にも影響が出る。少なくとも僕は、自分が書いたものが自分のコントロール下から外れていないか、怖くなってエゴサーチばっかりしてしまう。 「悪意を持ったコメント」に対抗する方法は難しく、

    ブログを書き続けること - mizchi's blog
  • 20年ぶりの「ヒトカゲ、君に決めた」 - インターネットもぐもぐ

    1996年の夏、わたしは6歳で、小学1年生だった。 宿題やってくる、って親に言い訳しながら、友達の家や近所の公園や児童館にゲームボーイ片手に集まって、ポケモンのレベル上げにいそしんだり、近所の年上のお兄ちゃんにどうしてもここから先にいけないんだよ~って泣きついたり、同じジムリーダーに何回も挑戦したりしてた。チューペットをくわえて濡れた手でAボタンを押す、通路なんだからここで集まらないどきなさい、って怒られる。 ……まさか20年経って同じことをしていると思わなかった。思わなかったよ。 2016年7月22日、ポケモンGOが存在する世界がはじまった。 22日は朝から歌舞伎座で「七月大歌舞伎」を観ていて(市川海老蔵さん、当に当に格好よかった)午前中からリリースの喧騒は横目に見ていたけど、歌舞伎座の場内は集まる皆様の年齢層もあって至って静かだった。誰もポケモンゲットしようとしてなかった。今思えば

    20年ぶりの「ヒトカゲ、君に決めた」 - インターネットもぐもぐ
  • 官能小説で使われたイカした性器や絶頂の隠語表現を紹介していく - 根室記念館

    Asay
    Asay 2016/07/19
    作者が行為の、あるいは性器等の比喩表現として使っている部分はまだいいんだけど、作中人物が喋っているものとして使われてる表現は想像して吹いちゃう。
  • 性格の暗い人には除湿機がおすすめ - ココロ社

    気づいたら生まれてずいぶん時が経っていた。物心ついたときから性格が暗かったが、きっと大人になると明るくなるだろうと楽観していた。しかし、「性格の明るい人物を装う術」や「暗いなりに人生を楽しく過ごす術」に長けただけで、もとからの性格の暗さは一切変わらなかった。仕方ないのでそのまま生きている。 きょうはそんな薄暗いオッサンからの四次元経由のアドバイスに耳を傾けてほしい。「除湿機はいいぞ」という話である。申し訳ない。先輩風を吹かせてしまった。「除湿機はいいですよ」という話である。 加湿器は持っていても除湿機は持っていない、という人は多い。加湿器はもともと値段が安いし、ないと風邪をひきやすくなるが、除湿機は安いものでも1万円以上するし、夏は湿って当たり前だと思うなら、特段不自由はない。除湿機のよさは除湿機を手に入れてからではないとわからないのが、すすめる側としても歯がゆいところである。しかし、とく

    性格の暗い人には除湿機がおすすめ - ココロ社
    Asay
    Asay 2016/07/12
    『性格の暗い人間は、部屋の壁にカビやシミができたりすると、それを凝視し、いままで出会ってきた嫌な人の姿をそこに見出してしまう』
  • 女友達の新しい彼氏との馴れ初めを聞きに行ったら死ぬほど文学だったから文学書きました - on my own

    こちらの文章は同人誌『それが私にとってなんだというのでしょう? Vol.1』に収録されています。 今後のイベント参加予定は↓をチェック! 525600.hatenablog.jp

    女友達の新しい彼氏との馴れ初めを聞きに行ったら死ぬほど文学だったから文学書きました - on my own
    Asay
    Asay 2016/06/23
    「例えばね、不二周助が、私のために死ぬわけ」読み入ってしまった。
  • 「その人にしか書けないこと」が読めるのがブログであって欲しい: 不倒城

    目次・記事一覧(1) レトロゲーム(185) 日記(773) 雑文(512) 書籍・漫画関連(56) 子育て・子どもたち観察(115) ゲームブック(12) フォルクローレ・ケーナ・演奏関連(86) FF14(40) レトロでもないゲーム(337) 始めたばっか(13) アナログゲームいろいろ(37) 人狼(48) ネットの話やブログ論(61) 三国志大戦(20) 無謀的世評(52) ゴーストライター(16) 大航海時代ONLINE(40) FF3(6) Civ4(18)

    Asay
    Asay 2016/05/25
    おおむね同意するし、そういうものを書きたいと思う。
  • もしも夢野久作と椎名誠が『カップ焼きそばの作り方』を書いたら→見事な完成度とオチに笑い止まらず

    見事な「ドグラマグラ」感と「哀愁の町に霧が降るのだ」感

    もしも夢野久作と椎名誠が『カップ焼きそばの作り方』を書いたら→見事な完成度とオチに笑い止まらず
    Asay
    Asay 2016/05/24
    「爆発音がした」 http://anond.hatelabo.jp/20080506041614 文体模写の続編みたいなアレ。椎名誠文体(昭和軽薄体ver)の完成度高い
  • 無職アラサー男性・最後の人生相談「生きてる理由がわかりません」 - messy|メッシー

    Asay
    Asay 2016/05/18
    『だって、生きてることに意味が無いんだから。(略)どうせいつか無になるのに、真面目に生きるなんて、どうしても無理に思える。それは僕には、途方もない徒労に見える。』
  • マクドナルドのむきだしのポジティブに照れる - 真顔日記

    昔、マクドナルドで妙なキャンペーンをしていたことがあった。 それぞれの店員の名札に紙がくっついており、「私がマクドナルドで見つけたもの」と書かれている。それぞれの店員の手書きの文字で「仲間を思いやる気持ち!」とか、「お客様の笑顔!」と書いてある。「いっしょうけんめい頑張ること!」とか「まごころ」とか。 これに私は赤面したというか、「いや、まあ、いいんだけど……」としか言いようのない気持ちになった。「いや、うん、いいんだけど、いいんだけどさ……」と。 バイトを通じて仲間を思いやる気持ちを手に入れる。良い。客の笑顔を見ると自分も嬉しくなる。なにひとつ問題ない。しかしやはり、ここまであからさまに、むきだしの、怒張したポジティブを見せつけられると、ちょっと照れる。 夏目漱石がアイラブユーを「今夜は月がきれいですね」と訳したなんて逸話があるが、ここは私も漱石に同意したい。どんなに前向きで素晴らしい言

    マクドナルドのむきだしのポジティブに照れる - 真顔日記
    Asay
    Asay 2016/05/17
  • かなしみはちからに…

    保阪嘉内あて書簡165 (山梨県立文学館『宮沢賢治 若き日の手紙』より) かなしみはちからに、欲(ほ)りはいつくしみに、いかりは 智慧にみちびかるべし。 この言葉は、1920年(大正9年)6月~7月頃の投函と推定されている保阪嘉内あて書簡165の上欄外に、90度方向を変えて書かれているものです。 この時、嘉内は志願兵として東京で入営中、賢治は5月に盛岡高等農林学校の研究生を修了して、なすすべもなく花巻の実家で質屋の店番をする毎日でした。 書簡そのものの内容としては、下記のように最近の自分は「毎日ブリブリ憤ってばかり」いるということを書き連ねていて、この「いかり」をどう扱ったらよいのかということから、欄外の言葉へと関連してくるのでしょう。文の進行とパラレルに、上部にもう一つの想念が配置されてポリフォニーを奏でているところは、後の「習作」という作品の構造も連想させます。 (前略)突然ですが、

    かなしみはちからに…
    Asay
    Asay 2016/05/09
    賢治の「かなしみはちからに…」についての考察、出典の有無など
  • 万城目 学さん(小説家)の「仕事とは?」 - 就職ジャーナル

    まきめまなぶ・1976年大阪府生まれ。京都大学法学部卒業。化学繊維会社勤務を経て2006年に第4回ボイルドエッグズ新人賞を受賞した『鴨川ホルモー』でデビュー。続く『鹿男あをによし』がテレビドラマ化・第137回直木賞候補、『プリンセス・トヨトミ』が映画化・第141回直木賞候補、『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』で第143回直木賞候補、『偉大なる、しゅららぼん』が映画化、『とっぴんぱらりの風太郎』で第150回直木賞候補、『悟浄出立』で第152回直木賞候補、第5回山田風太郎賞候補となる。その他の著書に『ホルモー六景』、エッセイ集に『ザ・万歩計』『ザ・万遊記』『ザ・万字固め』、門井慶喜氏との共著に『ぼくらの近代建築デラックス!』がある。 ずっと書き続けなければいけない。新人賞の喜びも束の間、現実を突きつけられた 大学3年生の時にふと思い立って小説を書き始め、1年かけて長編を完成させたものの、自分には

    万城目 学さん(小説家)の「仕事とは?」 - 就職ジャーナル
    Asay
    Asay 2016/04/21
  • 冬とカモメとフィッシュマンズ - phaの日記

    ユリカモメは冬の渡り鳥だ。毎年冬になるとシベリアあたりの厳冬を避けて南へと飛んできて日の川辺や海沿いで越冬し、暖かくなるとまた北へと帰っていく。 大学時代に京都にいた頃は、当時住んでいた寮の近くを流れている鴨川の河原に行ってはよくユリカモメに餌をあげていた。 二十歳前後の僕は今よりも暗く内向的で友達も少なく、今よりもさらに将来の見通しがなく、社会に適応できないという思いを持ちつつも社会から外れる勇気も持てず、この先どうやって生きていったらいいのかいつも途方に暮れつつ、過剰な自意識や承認欲求や性的衝動をこじらせて周りに迷惑をかけたりしていた。要はよくいる暗くて面倒臭い大学生だった。 「もうだめだ、つらい」 気が滅入ってそんなことを呟きながら汚い寮の玄関をくぐり抜けふらふらと鴨川まで歩いていって川のそばの100円ショップでかっぱえびせんやベビースターラーメンなどのスナック菓子を買って橋の上で

    冬とカモメとフィッシュマンズ - phaの日記
    Asay
    Asay 2016/04/15
    自分には何ができるか、ということを考え続けているつもりだけど、何かのきっかけでふと昔の自分を思い出したりすると、さして変わっていないような気がして、安心しつつも恐ろしくなったりする。
  • 同棲していた彼氏が自死するということ。 - UOUSAOU

    事の経緯をさくっと 私には、一緒に住んでいる彼氏がいました。でも、先月、自分で自分の命を絶ってしまいました。 1か月ほど経ち、遺品整理はまだできていませんが、ようやく人様に見て頂けるくらいの言語化をできるようになりました。 一緒に住んでいるといっても、世間のイメージするいわゆる同棲という色気のある話ではありません。 彼の精神的な状態が悪化したことを危惧し、「うちにいてほしい」とお願いして、この半年程度、私の家で生活してもらったというのが事実です。 生存確認のための同居、という方が正しいと思います。 彼と私は、幼少期の孤独な自分の像を抱えたまま都会で生きる者同士、長い間、関係性にラベルをつけませんでした。 つまり、「親友」として、お互いのトラウマ、未来への希望を共有しあえる「戦友」でした。10年間の。 彼の勇気のおかげで「彼氏と彼女」というラベルを付けたのは、最後の3年間だけです。 関係性の

    同棲していた彼氏が自死するということ。 - UOUSAOU