2019年1月4日のブックマーク (5件)

  • 教師への夢をあきらめた学生たち 現役教育大生のリアル 競争倍率低下時代における教育の危機(内田良) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    教師になることを夢見てきた学生の一部が、その夢に終止符を打とうとしている。学校という職場の過酷な労働状況が見えてきたからだ。全国的には教員採用試験の倍率が低下し、採用倍率が1.2倍の自治体も出てきている。日教育は、危機的状況を迎えている。 私は昨年末、教員養成系大学に籍を置く5名の現役学生たちと意見交換の機会をもつことができた。学生の語りからは、教職をめぐる迷いや決意が見えてきた。ここに、その率直な思いを紹介したい。 <教育大生のリアルを語る座談会>座談会の様子 ※スタッフによる撮影 座談会の開催時期は、2018年12月下旬。約2時間にわたって、私からの質問に応じてもらった。参加者は、あるえさん、なるみさん、まつのさん、アサミさん、まなさん[注]。記事の発表に合わせて、座談会の動画を公開している。動画は、記事下部を参照。記事の続編はこちら:「『政治家になったら?』 教員志望者に突

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    Baatarism 2019/01/04
  • 五輪や万博、盛り上がるフリ 内田樹「共感が暴走」危惧:朝日新聞デジタル

    昨年、LGBTをめぐる寄稿などで批判を受け、月刊誌「新潮45」が休刊になった。思想家の内田樹(うちだ・たつる)さんは自身のブログで、問題の背景に「読者との過剰なまでの共感と結託感」があったと指摘した。他人の幸福を喜んだり、不幸に同情したりする共感は、人間の美徳ではないのか。現在の社会は「共感が暴走している」と危惧する内田さんに聞いた。 ◇ 共感と同意だけが返ってくる環境 ――「読者との過剰なまでの共感と結託感」とは、どのようなものですか? 「同じような書き手が同じようなことを書いていて、読者も同じような反応をしている。共感っていうよりも定型だと思うんだけども、定型に収まることの安心感がすごく大きいような気がする。読者が求めている定型を、書き手のほうも定型的に出しているというね。そこには同語反復の循環だけしかなくて、自分が持っている考え方を強化してもらうためだけに読む人たちがいて、そういうニ

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    Baatarism 2019/01/04
    自分の周囲のことを語っているのかな?
  • 無法者より恐ろしいウエスタンの「悪徳保安官」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    無法者より無法者らしい荒くれ保安官 昔のB級ウエスタン映画は、北斗の拳みたいなヒャッハーな無法者が娘をさらったり農民をドヤしつけたりして暴れまわっているところを、正義の保安官が駆けつけて無法者を一掃! どうもありがとうございます、あの、お礼を… いや当然のことをしたまで。では私はこれにて。 みたいなコテコテの描写が多い気がします。 そういう正義の保安官もいたにはいたでしょうが、実際のところ保安官も無法者も素材は同じく乱暴者のゴロツキ。今回は名の知れた「悪徳保安官」を紹介します。 1. ビル・ティルマン(1854-1924) 多数の無法者を逮捕する一方で不正蓄財に手を染めた人物 ビル・ティルマンは名をウィリアム・マシューと言い、若い頃はカンザス州とオクラホマ州のガンマンとして名を馳せました。銃を片手に荒野を暴れまわり、5年で12,000頭のバイソンを仕留めたり、シャイアン族の勇者7人を殺し

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    Baatarism 2019/01/04
    アメリカ版の「二足の草鞋」かな。
  • コミケが「韓国人・中国人お断り」のヘイト張り紙を許容した件について、表現の自由戦士がヘイト張り紙を援護する。それに対しての反論

    表現の自由をまもるため日々ツイッターで論争している表現の自由戦士の方々から、コミケのヘイト張り紙への援護とも取れるツイートがされる

    コミケが「韓国人・中国人お断り」のヘイト張り紙を許容した件について、表現の自由戦士がヘイト張り紙を援護する。それに対しての反論
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    Baatarism 2019/01/04
  • 底辺IT企業は『書けない』プログラマとどう向き合ってきたか - megamouthの葬列

    新年から夢のない話で申し訳ないのだが、表題のとおりのテーマである。 note.mu という記事があって、むやみに長いので飛ばし飛ばし読んだ。 大意としては、世の中には「書けない」プログラマというのがいて(元エントリでは学生さんのようである。さもありなん)そういう人はどうやったって書けるようにならないんだから、諦めろ、という話のようである。 で、じっと手を見て、下請け底辺のIT企業にいる私たちは、このような人々をどうしてきたろうか、と考えると、「放ったらかし」にしたなあ、と思うのである。 最初のほうは優しく教えていたと思う。話したりハンズオンしている時に、あっこの子、変数のことわかってないな、と感じたら、ホワイトボードを持ち出してきて、例の"x"と書いた箱の絵に矢印を引いて、値が入っている図を書いて、「わかった?」「あ、はい」みたいなやり取りをして終わり、という程度の「教育」である。 だが、

    底辺IT企業は『書けない』プログラマとどう向き合ってきたか - megamouthの葬列
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    Baatarism 2019/01/04