福島原発の処理水を巡り、日本の伝統的な思考方法の課題が顕在化している。合理的な対応が全くとれないのだ。一体なぜなのだろう。数学や科学の知識に関して、確かに日本の教育水準は国際的には低くはない。一定程度の科学的合理性に基づいた社会を形成している。 しかしそこは本音と建て前の文化である。表層を司る社会のルールとは別に、日本人の根底に流れる精神文化は全く異質である。無宗教と言いながら家屋の新築時には「地鎮祭」で祝詞をあげ、お盆には里帰りで迎え火を焚いたりする。我が国日本は不思議の国でもある。この性質について検証したい。 日本は「精神主義」または「空気主義」 「心頭滅却すれば火もまた涼し」「断じて行えば鬼神もこれを避く」「石に立つ矢」など、日本古来の表現には、「精神の強さ次第で困難も打開できる」という精神力のポテンシャルを恃む思考様式がある。「涼しい」は自分の感じ方なのでそういうこともあるだろう。