【阪神】藤浪晋太郎、次回30日ヤクルト戦へ 矢野監督「もちろん先発させる」7回途中4失点も スポーツ報知
高校生で800m日本王者クレイアーロン竜波、予定通りに今秋米国留学へ「覚悟を持って行こうと思う」 スポーツ報知
'Jermaine Jones- USA; Cristian Gamboa- Costa Rica; World Cup qualifier' FIFAは26日、ワールドカップ北中米カリブ海最終予選アメリカ対コスタリカ(1-0)の再試合を検討することを発表した。 FIFAは、公式HPで次のような声明を伝えている。 「コスタリカサッカー連盟から、同試合の再試合の要請を受けました。これから内容を熟考し、決定を下す方針です」 22日に行われた同試合は、吹雪によってピッチが雪で覆われるなど、劣悪なコンディションの中で開催された。コスタリカのアシスタントコーチを務めるパウロ・ワンチョペ氏は、「FIFAにフェアプレーは存在しない」と憤りを露わにしている。 コスタリカサッカー連盟はFIFAに対して、再試合開催のほか、試合を続行させた関係者への処分も求めているようだ。 (C)Goal.com
Jユースカップを初めて制した札幌U−18。ピッチ内外で強さが表れていた【写真:杉本哲大/アフロスポーツ】 「このような素晴らしい会を開いていただき、ありがとうございました。今日の試合に関しては、5−1という大差は付きましたが、ガンバ大阪ユースはすごく球際が強く、素晴らしい相手と最後に試合ができたことをうれしく思います。僕たちは、『北海道の歴史を変える』ということで、ずっとサッカーをやってきて、その夢が今日やっとかないました。このメンバーでサッカーができたことをすごく誇りに思いますし、Jユースカップという素晴らしい大会で優勝できたことを、北海道代表としてすごくうれしく思います」 コンサドーレ札幌U−18の初優勝で終わった第20回の記念大会となるJユースカップ。24日に行われた決勝後のポストマッチファンクション(交歓会)の壇上、札幌U−18の主将で来季からのトップ昇格も決まっているMF堀米悠
Jリーグ同様、第20回の記念大会を迎えたJユースカップは24日、大阪長居スタジアムで決勝戦が行なわれた。コンサドーレ札幌U−18がガンバ大阪ユースを5−1で破り初優勝を決めた。準決勝では相手の様子を伺うような入り方をした両チームだが、この決勝では共に持ち味である素早く鋭い攻撃の姿勢が全面に出た立ち上がりの展開となる。 最初にペースを握ったのは札幌U−18で、ボール奪取力と展開力に秀でた堀米悠斗と前寛之の両ボランチが攻守で目立ち、両サイドの神田夢実、中原彰吾にいい形でボールをつなぐと、そこからの仕掛けや突破でシュートチャンスを作った。しかし、先制点はG大阪ユース。FW出岡大輝がFKのこぼれ球を拾ってエリア外から豪快に左足で決め、チームのファーストシュートで均衡を破る。 シュートの意外性も含めて札幌側からすれば「まさか」の展開だったが、札幌U−18の四方田修平監督が「まだまだ時間はあったの
キックオフは2時間半後。グラスゴーを回る地下鉄はまだ空いていた。レンジャーズの若いサポーターたちがビールを飲んでいたが、ひとりの男が指をなめながら食べるハンバーガーの油の嫌な匂いがポップの香りに勝って車内に充満した。アイブロックスの駅に着くと、彼は手際良くネクタイを締め『STEWARD』と刺繍(ししゅう)が入ったジャンパーを羽織って、席を立ちながらもう1度指をなめた。 改札口を出るとフットボールの本場の景色が広がっていた。屋台、ファストフード店、バー、ブックメーカーが並ぶ道があり、レッカー移動車が容赦なく路上駐車の車を運ぼうとしていた。プログラムの売り子、マフラーやピンバッチを売る露店は案外暇そうだったが、試合前のエネルギーをしこたまため込もうとするサポーターが集まるバーはものすごい活況だった。 ビールを飲みながら、彼らは談笑したり、大型スクリーンに映る過去の試合を見たりしていた。レン
内田篤人が海外のクラブで成功をおさめることができたのは、日本とは違う環境であることを当たり前のこととして受け入れたからだろう。 その現実を受け入れた上で、自らに何ができるのかを考えていく。そこには、海外だから思うようにいかないといういら立ちも存在しなければ、戸惑いもない。問題が生じれば、それが海外でプレーするということなのだと考え、問題が生じたことを嘆くこともなく、解決することに全力を注ぐ。日本人選手のなかには問題を解決する前の段階で、思考がストップしてしまう者も少なくないのだが、内田にはそんな無駄な時間がないのである。 海外でプレーするうえで最初に直面するのは、言葉の違いである。 ブンデスリーガの場合、基本的にはドイツ語でコミュニケーションをとる。内田が所属するシャルケ04は、トップチームに在籍する24名中13名をドイツ国外の選手が占めており、英語が使われることも多いのだが、いずれ
入場券販売とスポンサーからの支援が収入の柱となっているプロサッカー。Jリーグはクラブ経営の問題に常に頭を悩ませてきた【Jリーグフォト(株)】 スタート時の10クラブから、わずか20年で40クラブに増えたJリーグ。しかしその20年間は、日本の経済にとって未曾有の長期的不況と重なっていた。 プロサッカーは入場券販売とスポンサーからの支援が収入の二本柱だ。その柱のひとつがぐらつけば、クラブは即座に存在の危機に立つ。サッカーファンや少年少女の夢を運ぶ存在であるはずのプロサッカーリーグ。その担い手であるそれぞれのクラブの経営をいかに安定したものにできるか――。それはこの20年間、とくにここ10年間、常にJリーグを悩ませてきた問題だった。 Jリーグの初代事務局長、広報室長、理事、常務理事などの立場で2012年3月までリーグ運営に当たってきた佐々木一樹さんに聞く「Jリーグ20年の裏面史」第7回は「安
ゴール裏を埋め尽くす大分サポーター。福岡との「バトルオブ九州」を制して大いに盛り上がった【宇都宮徹壱】 動きが硬かったのは、ホームチームの方だった。 10月28日、大分銀行ドームで行われたJ2リーグ第40節、大分トリニータ対アビスパ福岡の「バトルオブ九州」は、後半の20分が過ぎても両者スコアレスの均衡が続いていた。全体的にゲームを支配していたのは、ホームの大分。4位(大分)と18位(福岡)という現時点での順位は、そのままピッチ上での力関係に表れていたものの、さりとて大分のプレーから相手を圧倒するような勢いは感じられない。スタメンの平均年齢が25.6歳という若いチームなのに、伸びやかさを封印した慎重さばかりが目につく。 よくよく考えてみれば、無理もない話なのかもしれない。J2は今節を含めて残り3試合。大分は、数字上は無条件昇格となる2位の可能性を残しているものの、もしも連敗を喫してしまえ
スタジアム上空は、激しい風が渦巻いていた。 9月17日、台風16号が九州北部を通過していたこの日、岡山のkankoスタジアム(カンスタ)では、J2リーグ第34節、ファジアーノ岡山対湘南ベルマーレの試合が行われようとしていた。試合前、「カンコー学生服」と書かれた看板の前で、岡山のマスコットであるファジ丸と岡山のファンが、強風にあおられながら記念撮影をしていた。カンスタのネーミングライツを取得しているのは、「カンコー学生服」でおなじみの尾崎商事である。岡山にはほかにトンボ学生服、ヨット学生服といったブランドがあり、学生服の全国シェアの8割を占めるという。 「学生服のシェア、ナンバーワン」を誇り、温暖な気候から「晴れの国」とも呼ばれる岡山は、しかし最近までメジャースポーツの空白地帯であった。それでも09年、ファジアーノ岡山が晴れてJクラブとなってから、状況は次第に変わりつつある。J2初年度の
旧ユーゴスラビアのセルビアは「球技の王国」としてつとに有名である。現名古屋グランパス監督のドラガン・ストイコビッチが、偉大なフットボーラーであったことは、日本のサッカーファンなら誰もが知るところであろう。この国は、これまで何人もの世界的な選手を輩出してきたが、それは決してサッカーに限った話ではない。バスケットボール、バレーボール、ハンドボール、水球、テニス、などなど。この国のアスリートは、とりわけ球技において天才的な能力を発揮する。以前、セルビア人の友人に「なぜ君たちは、そんなに球技が得意なのか?」と質問したところ、彼は一言「血だ」と答えた。それくらい、かの国の人々にとって球技を楽しむことは呼吸をするがごとく自明となっている。 では、日本の国民的スポーツである野球はどうか? ヨーロッパの野球大国であるイタリアやオランダほどではないにせよ、実はセルビアでも野球はマイナースポーツとして行われ
史上初の銅メダルを獲得したヤングなでしこ。日本は世界大会で4大会連続して表彰台に上った【写真:北村大樹/アフロスポーツ】 ヤングなでしこ(U−20日本女子代表)がナイジェリアとの3位決定戦を2−1で制し、U−20女子ワールドカップ(W杯)史上初の銅メダルを獲得した。 表彰台に上がった仲間たちを、ある選手が国立競技場のスタンドから眺めていたと報道された。この世代から唯一、ロンドン五輪のメンバーに選ばれていた岩渕真奈である。岩渕は仲間たちに声を掛け、銅メダルをたたえた。その際、「わたしたち(なでしこジャパン)は(ロンドン五輪で)銀メダルだけどね(笑)」と冗談も交えたと聞く。 この発言には伏線がある。岩渕自身が2008年のU−17女子W杯でベスト8の成績を挙げて帰国した際、所属する日テレ・ベレーザの先輩から「わたしたちは(北京五輪で)ベスト4だけどね」と言われていたのだ。4年前の先輩から岩渕
1992年11月23日 国立競技場で行われた1992Jリーグヤマザキナビスコカップ決勝(ヴェルディ川崎vs.清水エスパルス)は、56,000人の大観衆の中で行われた【写真:アフロスポーツ】 1992年9月に開幕したJリーグ最初の公式戦、ヤマザキナビスコカップは、節を追うごとに注目を集めていった。この年に初の外国籍監督、初のプロ監督として就任したハンス・オフト(オランダ)の下で急成長した日本代表の活躍も相まって未曾有のサッカー・ブームが訪れ、1993年5月のJリーグ・スタートに国民的な関心が集まることになる。 Jリーグの初代事務局長、広報室長、理事、常務理事などの立場で2012年3月までリーグ運営に当たってきた佐々木一樹さんに聞く「Jリーグ20年の裏面史」第3回は、嵐のような騒ぎのなかでたどり着いたJリーグ開幕までの裏話をお届けする。 ■1試合平均9435人を集めたナビスコカップ 1992
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く