ツノウサ @hajime2e お絵描きAIからわかったこと ・AIは指を描くのが苦手 ・AIはハリウッド映画が好き ・AIは基本的に日本のことをよく知らない ・AIはタケノコを知らない ・AIはヒカキンを知らない ・AIはサイゼリヤを知らない ・AIは30%くらいの確率で超怖い絵を描く ・AIにおじさんを描かせるための情報がネットにない pic.twitter.com/WoPEokjfkI
「それはそう」が流行語になっているっぽい。「それはそうと~」とかではなく「それはそう。」や「○○と言われればそれはそう。」みたいに使う。昔からある表現のようだが、"言われればそれはそう"で時期を指定してググってみると昔はほとんど使われていなかったことがわかる。 「それはそう 元ネタ」でググっても、元ネタを探している人が出てくるばかりで、肝心の元ネタの方はほとんどヒットしない。一応、QMAプレイヤーが使い始めたという説(これとこれ)は見つけた。 この知恵袋を見ると、「それはそう」は2016年1月の時点である程度広まっていたらしい。「わかりみ」とかと同時期のようだが、そんな前に聞いた覚えは全然ない。自分はここ3ヶ月で3~4回見ただけだ。「それはそう」はTwitter内で広まったようなので、Twitterをやっていない自分が発見できていなかっただけだろうか。この感じだと「それはそうをどこかで見た
先日職場の雑談の中で「苗字をどちらが変えるか決める方法」が挙がっていた。 「じゃんけんで決めよう」とか「名字が長いほうが変えよう」とか色々出ていたけど、個人的には片方のみが負担を感じる決め方は良くないと思っていた。 なので「プロポーズされた方が名字を変えるのはどうか?それであればお互い嬉しいし負担も分担できる」と提案したのだが、自分でもびっくりするほどに空気が凍った。 そして「いや、プロポーズは関係なくない?そもそも男性がしたいからプロポーズする訳で負担でも何でもないじゃん」みたいな反論意見が続発。 ちなみに職場の男女比は1:9。 そっかー、女の人ってプロポーズは男性が自発的にやってると思ってるんだー、ロマンチストだなーと思わされた一件だった。
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婚活の交際相手にあまり恋愛的なときめきを感じなくて困っている。 困っているのは私というより、相手の方。 私がそういうものを感じないから手を繋ぎたいとか全然言わない(し、実際思わない)んだけど、 してほしいといわれればなんでも答えてるし、それは別に嫌じゃない。婚活中なので性交渉は厳禁だけど、成婚後にして欲しいのならできる。 でも、「そういうことを私ちゃんからもやってほしい、言って欲しい」と言われると、困る。 だって、自分からやりたいタイミングは全然ないんだ。別にそういうことでドキドキとかもしない。お付き合いの上で義務なのでやっている。 これは婚活前のお付き合いとかでもそうだったので、婚活だから、期間が短いからどうとかではない。 相談所からも確認されたけど、接触が嫌なわけじゃないよ。言われればできる。でも自分からいちゃつきたいみたいな気持ちは1ミリもない。 正直「めんどくせ〜、毎回付き合ってや
1987年に大学院に入った当時、自分があまりに本を読んでいないという強迫観念から頭がおかしくなって狂ったように読んだことは書いたことがあるが、改めて古典的作品とか有名作品をいつ読んだか調べてみた。題名は一般的なものとし、英語で読んだものも日本語で記した。初期には作家をまとめて読んでいたので作家名になっている。 1975(12歳) 老人と海、南総里見八犬伝始まり、山椒太夫・高瀬舟、水滸伝(抄)坊っちゃん、平将門(海音寺) 1976(13歳) 花神,藤十郎の恋・忠直興行状記 1978(15歳) 万延元年のフットボール、人形の家、羅生門、小僧の神様・城の崎にて、蒲団、破戒、太宰治、白痴(ドスト) 1979(16歳)二葉亭四迷、野間宏、金色夜叉、島崎藤村、ラーマーヤナ(抄)、雪国、眠れる美女、ブッダのことば、北回帰線、赤毛のアン、 1980(17歳)伊豆の踊子、掌の小説、十二夜、シェイクスピア、オ
『文藝春秋』にラテンアメリカ文学者の田村さと子が川端のことを書いていた。主にガルシア=マルケスがいかに『眠れる美女』が好きだったかという話で、「空を飛ぶ眠れる美女」と、『わが懐かしき娼婦たちの思い出』を書いている。後者は駄作。大江健三郎は後者を書く前にガルシアから、『眠れる美女』のモデルを紹介してほしいと言われ、断って、本を読んで、紹介しなくて良かったと言っている(尾崎真理子のインタビュー)。ってことは大江はモデルを知っているんだな。 もう一つ、マリオ・バルガス=リョサも『嘘から出たまこと』という批評集で『眠れる美女』を礼賛していると田村が書いていたので、読んでみた。あまり出来のいいエッセイではないのだが、冒頭に、谷崎のフランス語に訳された作品を読んだら、辛酸をなめたヒロインが、家へ帰って魚料理をするところで作品が終わっていて、これが日本的な美なのかと感嘆し驚いていたら、友人から、あれはフ
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