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漠然とした感覚のひとつを書き出し。 「○○は質が低い」とか「○○は出来が悪い」とかいう文章は、「これを書いたひとは○○のことがキライ」という内容だと意訳されやすい。あるいは本当には○○のことがキライと書きたいときにそれを質が低いとか出来が悪いというアプローチで書くひとが多いのでその量に埋もれる。 「○○はどうでもいい」という文章は、ほぼ間違いなく「○○は本当はどうでもよくない」という意味だと誤解される(ネットには本当にどうでもいいものをどうでもいいと書く文化はない、という認知)、あるいは本当にはどうでもよくないものを「どうでもいい」というアプローチで書くひとが多いのでその量に埋もれる。 ようは「相対化するのはひとの意思である」という話か。なぜ誤解されるのがまずいのかというと、望まない形で不利益がフィードバックされる、後々で不本意に説明コストが嵩む、責任を終えない波及の仕方をする、などなど。
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