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2007年11月15日のブックマーク (5件)

  • 「ごめんなさい」が言えない大人達 - シロクマの屑籠

    「あなたは、身近な人に「ごめんなさい」が言える大人になりましたか?」 確かに、素直に自分の非を認めることの難しい世の中かもしれない。非を認めれば謝った以上のことまで突きまわされたり、責任の程度問題を度外視した見返りを突きつけられる世知辛さがあるかもしれない。でも、そういうのは公の空間でのやりとりや他人同士の商取引的関係のなかでは致し方ないかもしれないけれども、親子関係や兄弟や友人関係においてはどうだろうか。そんなことは無いと思いたいのだが。 パブリックなニュアンスの強い関係や、商取引的なニュアンスの強い関係において、「ごめんなさい」を口にすることがそれなりの困難さと覚悟を要するというのは分かる。けれど、もっと身近な関係や互助的ニュアンスの強い関係のなかでも「ごめんなさい」と言えない大人がどうやら沢山潜んでいるようにみえるのだ。まるで知識だけは一人前の子どものように、誤りを指摘されても言い訳

    「ごめんなさい」が言えない大人達 - シロクマの屑籠
    Crone
    Crone 2007/11/15
    ごめんなさいは人と付き合う上での緩衝材。ごめんなさいとか相槌とか、「あなたの言った事を受け止めたよ」という意思表示があると、言葉を返す時に(それが相手の意見と違っても)受け止めてもらいやすいのかなと愚考
  • 『優生学と人間社会』を読んで - Arisanのノート

    優生学と人間社会 (講談社現代新書) 作者: 米昌平,ぬで島次郎,松原洋子,市野川容孝出版社/メーカー: 講談社発売日: 2000/07/19メディア: 新書購入: 2人 クリック: 60回この商品を含むブログ (46件) を見る 優生学という言葉をはじめて意識して聞いたのは、数年前のことだと思う。 もちろんこの語自体はもとから知ってはいたが、「戦前のこと」であり、おぞましいことだが過去の話であると思っていて、それが現代に復活しつつあると聞いて(実情は、それどころではないわけだが)、奇異の感を抱いたことを覚えている。 このを読むと、「優生学」の過去と現在についてのそうした思い込みは、まったく誤っていたことが分かる。戦後の日社会においても、ずっと「優生保護法」という名の法律が存在してきただけでなく、優生思想は、根的に否定されることのない考えであり続けてきた。 だが、そればかりではない

    『優生学と人間社会』を読んで - Arisanのノート
    Crone
    Crone 2007/11/15
    個人主義的優生学を乗り越えるには。優生学に対してもやもやした嫌悪感を抱くのは、「悪」という個人的・多数的主観を基準に切り捨てる事で、大事な何かを一緒に捨ててしまうような恐ろしさを感じるからかも。
  • インターネットは好きですか? - Attribute=51

    目隠ししながら、 それぞれが勝手に自分の思ったことを、 あさっての方向を向きつつ、相手がいない方向に相手がいるものだと思いこみながら話している姿、を ここ数日ネットを見ながら思ってたんです。で、絵にしてみた。 試しに目隠ししながらはっきりした声で主張してみると、 聞いている人がいるんだかいないんだか、 自分の話題が話の流れに合っているんだかどうだか妙な不安を感じつつ、 目の上や鼻の上に感じる圧迫感も相まって、寂しい気持ちになるんです。 でも、ネットやブログでのやりとりなんて、そんなもんですわなー。 今回しっくりこなかった理由は結局わかりませんでした。 発端の彼女に意見したものだって、なるほどと思うものですし、 それを聞いた彼女だって(傷ついたかもしれないけど)、何かを考えるいいきっかけになったと思うし、 派生して語られた話もおもしろがりながら読んだし、 ただまぁ、最後の方は疲れ切ったような

    インターネットは好きですか? - Attribute=51
    Crone
    Crone 2007/11/15
    聞いてもらいたいがもめるきっかけになりうる反面、聞いてもらえる事が楽しいのがネットのいい所。良い意味で文面に感情が現れてたので、自分も同意しつつネットのうきうきする気持ちを思い出しました。
  • 奥ゆかしさは伝わらないし、伝えたければ何かしらの声を上げるしかない :Heartlogic

    奥ゆかしさは伝わらないし、伝えたければ何かしらの声を上げるしかない ちょろっとメモしただけのエントリー「「沈黙」や「無視」の可視化」に思いのほか反応があったので、少し補足しておきたい。 気になる論点はこちら(↓)のような「読んだけどスルー」をソーシャルメディア上でどう表明するか、てなところですが、 スルーした、という事を - 煩悩是道場 ちょっと具体例を挙げつつ。 「カウンター7席しかない人気の焼鳥屋の口コミ」の場合 近所にある焼鳥屋はカウンター7席しかない小さな店。味は激ウマでいつでも混んでいて、下手に噂が広まると常連が店に入れなくなってしまう危険がある、てなシチュエーション。腕のいい医者の話なんかも同系統の話と思っている。 こういう店の話が急にはてブで盛りあがったら、どうすれば良いんだろうか。「何もしない」という選択肢以外にないと思う。あと、店のおやじさんに掛け合って「一見さんお断り」

    Crone
    Crone 2007/11/15
    沈黙を具体的な例にして分かりやすく。沈黙と可視化の話はネットする上で結構大きな要素だと思うからすごく気になる。カウンタが結果的に逆側に振り過ぎてしまうのは注意していても制御するのはなかなか難しい。
  • バイトのお話し - おれはおまえのパパじゃない

    店での長い長いバイト生活のときにですね、「ただ単に長い」っていう理由で、新人の教育を任されるわけです。 バンビーノでもやってたけど、調理とホールって、全然違うじゃないですか。なんつーの? 調理って、「俺の技を盗め」的なさ、「教えてもらおうなんて考え自体が甘ぇんだよ自分で考えて自分で仕事みつけろよタコが」的なさ、「何も教えはしねえけど、俺の仕事の邪魔になるようなことをしやがったらローキック入れんぞ」的なさ。ばっかじゃねえの。なにそれ。ちゃんと教えてやれよ、と思います。 ほいで俺はホールの人間だったので、いちようちゃんと手取り足取り教えるわけです。仕事の手順とかは初日で一通り誰でもできちゃう。だって誰でも出来るような仕事だから、アルバイトなわけだし。でも接客に一番大事な何かがなかなか身につかんのね。ほいで、やっぱ自分もそうだったからわかるのだけど、最初って「いらっしゃいませー!」の一言すら

    バイトのお話し - おれはおまえのパパじゃない
    Crone
    Crone 2007/11/15
    笑顔の接客のコツ。教え上手なブログ主。それにしても、接客経験あると自分が客側になった時、相手になっとらんと言いたくなってしまう不思議。