「希望は、戦争」か 「丸山眞男」をひっぱたきたい(転載) 希望は、戦争。 けっきょく、「自己責任」 ですか(転載) MouRa|萱野稔人、国家|萱野稔人「交差する領域〜<政事>の思考〜」 赤木氏は、一部の弱者だけが屈辱を味わうような平和なら、国民全員が苦しむことになる戦争のほうがいいと言う。赤木氏にとって、いまの平和とは、「持つ者」である年長世代が自分たちの既得権益をまもるために若者に不安定な雇用と貧困を強いて、それが固定化されている状態のことにほかならない。だから平和がつづくかぎり、現在フリーターの若者たちは一生貧困のなかで屈辱を味わいつづけなくてはならない。戦争は、そうした現状をひっくり返してくれるかもしれない「希望の光」なのだ、と。 こうした赤木氏の主張に対して、応答文は、戦争が決してそんなものではないことを指摘する。戦争になったからといって、国民全員が平等に苦しむなんてことはありえ