資生堂やパルコのキャンペーンで、1960~70年代の日本にセンセーションを巻き起こし、渡米後は映画や演劇へと活躍の場を広げて世界から喝采を浴びたデザイナー・石岡瑛子。昨年冬から開催されていた東京都現代美術館、ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)での回顧展も行列ができるほど話題となった。 没後9年、石岡の仕事と生き様がいまなお多くの人々をインスパイアするのはなぜか。クリエイティブ・ディレクター・嶋浩一郎氏と、評伝『TIMELESS 石岡瑛子とその時代』を上梓し、ggg石岡瑛子展の監修も務めた編集者・河尻亨一氏が、「エイコ現象」を語り合う。 石岡瑛子とは何者だったのか 嶋 石岡瑛子さんという方はどういう人なのか。まずそのあたりから聞いてみましょうか。 河尻 最初は資生堂のデザイナーとしてデビューしています。前田美波里さんを起用したサマーキャンペーンのポスター(1966年)が有名ですね。