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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/tatsu2 (4)

  • 「響け!ユーフォニアム」13話の視線と演出 - subculic

    『響け!ユーフォニアム』13話、緊張感ある素晴らしい最終回だった。トップシーンから第1話の冒頭を反復させる対比的な構成で、これはシリーズ演出・山田尚子の真価が見られるかもしれないな、と妙な高揚感があった。13話は吹奏楽モノなら逃げられないコンクール番の演奏シーンをはじめ、語り口を探せばいくらでもみつかりそうな濃い回であり、集大成だ。その一つに人物相関のおもしろさがある。第1巻のスタッフコメンタリーで脚の花田十輝が「シリーズを通して部員全員に台詞を与えたい」と話していたが、ふだんは脇役の部員同士で会話するシーンが最も多かったのも、この回だろう。そこで重要になってくるのが「視線」の在り処だ。山田尚子という演出家は「誰がどんな風に見ているか」の演出が抜群にうまい。青春のドキュメンタリズム、微熱感覚の作劇、色々な言い方はできると思うけれど、心情への接し方とその解釈が独特なのだ。時には石原さんに

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  • 「響け!ユーフォニアム」の生々しさ、その正体 - subculic

    アニメ放映終了後にまとめて読もうと思っていたが、我慢しきれず『響け!ユーフォニアム』の原作小説に手を出してしまった。アニメと比較しながら読み進めていくと、これが面白い。原作1巻を1クールかけてアニメ化しているのだから(正確には短編集の挿話も拾っている)当然かもしれないが、アニメを再び観直すと「これはオリジナルだったのか!」という描写が頻出し、膨らませているポイントの多さになかば感心してしまったほど。たとえば、第5話「ただいまフェスティバル」で印象的だった久美子と麗奈の帰り道(麗奈が髪をかき上げるあの場面)も追加されたエピソードだ。そもそも、原作の久美子は麗奈のことを最初から名前で呼んでいて、距離感に若干の違いがある。アニメは麗奈との関係性を強調するためだろう、少し“遠い”ところからスタートしている。その甲斐あって第8話で「麗奈」と名前を呼ぶ特別な儀式が生まれたわけだ。名字と名前、どちらで呼

  • 「SHIROBAKO」23話のラストシーンについて - subculic

    新人声優「ずかちゃん」こと坂木しずかにようやくスポットライトが当たった。『SHIROBAKO』第23話「続・ちゃぶだい返し」のラストシーンについて少し、書いておきたい。前回、しずかは自室で一人、テレビに出演しているフレッシュな声優をみながらビールをあおっていた。その様は胸に突き刺さり、痛々しかった。今回、まず憎い演出だなと思ったのは、キャサリンの妹・ルーシー役にしずかが選ばれるんじゃないかと視聴者に期待させている中、アルバイト先の居酒屋で映されるしずかのカットだ。静かに電話と取ったしずかの後ろは前回を引きずるように暗く、目の前は明るい。アフレコ現場にシーンを移す直前のこのカットは妙に引っ掛かった。どうして気になったかというと、23話のポイントは「誰と何を共有しているのか」だと思ったからだ。ラストシーンをみてみよう。宮森あおいは追加シーンのアフレコ現場に姿を現したしずかをみとめ、言葉にならな

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  • 「SHIROBAKO」の描く虚構と現実のバランス感覚 - subculic

    『SHIROBAKO』のバランス感覚にはいつも膝を打つ。「虚構と現実」のバランスだ。このテーマで馴染み深いのは今敏監督だろうか。混淆していく現実と夢の世界を精緻な筆致で描き、入れ子構造に収める独特の手法を用いていた。アニメーション制作にスポットを当てた『妄想代理人』第10話「マロミまどろみ」は、比較対象として興味深いエピソードだ。同じ題材を扱うにしても、今敏監督と水島努監督の「ブラックジョーク度合い」とでも称すればいいのか、明らかな違いがある。とはいえ、『SHIROBAKO』の構造は今敏監督の作風と似ている。修羅場続きで一寸先に落とし穴が待ち構えている現実、けれど夢を持ち続けたいアニメーション制作という場所へのこだわり、その交錯が見所。そんな作特有のバランスを支えているのは、隅々まで徹底して虚構と現実を対立させていること。主人公の宮森あおいを例にとってみよう。同期のタローこと高梨太郎と比

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