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エロゲと美学に関するDG-Lawのブックマーク (3)

  • nix in desertis:エロゲ終末物と崇高論

    ・理想の終末と崇高(エロゲ文化私観) おもしろい話なので,個別に取り上げる。いろいろエロゲネタバレ注意。 カントに則る古典的な定義では,崇高は数学的崇高と力学的崇高に分けられるが,「終末的崇高」は力学的崇高の一種であり,進化系・分家とも考えられるだろう。もっとも,廃墟を扱うのはロマン主義にとって常套手段であり,これまでの権威の破壊に伴う恐怖と畏敬については,崇高概念誕生の当初から存在していた。こうなってくると先祖探しをしてもしょうもないのだが,明確に結びついたという点ではやはりサルヴァトール・ローザが欠かせないだろう。正直な話,ジョン・マーティン一人に帰するのは違和感が大きい。 18から19世紀の変わり目に,ナショナリズムとともにヨーロッパ中で流行した崇高的ロマン主義は,非常に政治に近い概念であった。ゆえに,その芸術はウィーン体制下において抑圧された。美術の状況をそれぞれ見ると,イギリスで

    DG-Law
    DG-Law 2011/02/15
    id:NOGjp,タイトルの通り,本記事の主眼は崇高論です。そもそも『終ノ空』も出してませんし。/id:hachimasa,美学において崇高は普通人間を対象としないので,それらはちょいと違うかも。慣用表現としては使いますが。
  • エロゲ文化私観 : 理想の終末と崇高

    2010年07月09日13:02 カテゴリTweetまとめ美学視点 理想の終末と崇高 1999年のノストラダムスの大予言、2000年問題、世紀末とミレニアムという二つの数字的転機が必要以上の恐怖を煽っていた時期がメディアによって作られていた。 およそ十年前のこと、日々を生きるのに精一杯だったであろう当事の記憶の中にも一種しこりのように残っている。過ぎ去ってみれば何も無いものではあったのだが。 1996年公開の映画『Independence day』や1998年の映画『Armageddon』、1999年の映画『End of Days』にしてみても、世紀末の根底に抱えた緊迫を表層に押し出したかのような連続公開だった。 勿論、この20世紀末がまだ遠い時期からも終末を主題にした映画が作られていないわけではない、終末的背景が描かれるのは2005年にSteven Allan Spielbergによって

    DG-Law
    DG-Law 2010/12/14
    あとで何か書ければ書きたい。「崇高」は割と専門分野だけに。/書きました。http://blog.livedoor.jp/dg_law/archives/51944811.html
  • 美学的エロゲ解釈へのお誘い

    Pr.wrydread @wrydread まず最初に、決して「エロゲ=芸術」と言おうとしているわけではない。さらに、芸術がものっそい高尚ではなく俗悪な面もあると言う事実も加味。 2010-09-07 01:05:22

    美学的エロゲ解釈へのお誘い
    DG-Law
    DG-Law 2010/09/07
    おもしろいとは思うけど,例示を見るとやはり自分は美術史畑の人間なんだなぁと思う。タームは重なってるから言ってることは理解できるしおもしろいけど,その切り口であえて語ろうとはあまり思えない。
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