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学問に関するDOISHIGERUのブックマーク (6)

  • オンライン教育が教えてくれること

    オンライン教育が教えてくれること (TED Talks) Daphne Koller / 青木靖 訳 2012年6月 皆さんの多くと同じように私は幸運に恵まれました。高い教育をみんな受けている家庭に生まれました。3代続きの博士で、両親はともに学者です。子どもの頃は、大学にある父の研究室を遊び場にしていました。だからいい大学に進むのも当然のことのように思っていました。そしてそれが私に大きな可能性を与えてくれました。 あいにくと世界の人の多くはそんな幸運に恵まれてはいません。場所によっては、たとえば南アフリカなどでは、教育は容易に得られるものではありません。教育システムはアパルトヘイトの時代に少数の白人向けに作られました。その結果、優れた教育を受けることを望み、それに値する人のための場所が不足しています。この希少性が、今年1月にヨハネスブルグ大学で起きた事件に繋がりました。大学入試の受付が一部

  • 学問のキビシさ

    「学問のキビシさ」などといったものはない、とぼくは思っている。あるのはただ、この世界の謎であり、それをいくらかでも解きほぐすことの、気の遠くなるような困難さである。ぼくは広い意味での哲学者のはしくれなので、この世界がどのようにあるかという謎だけではなく、この世界がそもそもなぜあるのかという存在論的な謎(何も無かった方がよっぽど単純ですっきりしていたのに、なぜ?)にも直面している。これは、およそ世界に関わる謎のなかでも最難関の問いなのである。 けれど、そんなふうに考えるのは、学者・研究者と言われる人々の中でもかなりマイナーな部類であることを、ぼくは自分が研究者になってみてはじめて実感した。多くの研究者たちは、もっぱら研究生活の困難さ、学問の厳しさといった事柄を配慮している。そして自分がどれだけ古典に通じているか、語学に堪能か、最新情報をキャッチしているか、といったことを競い合って、そうした諸

    DOISHIGERU
    DOISHIGERU 2012/09/20
    学問は職業でも芸事でもないと再認識させられる。
  • 東京大学UT OpenCourseWare | OCW Home

    第4回 Living in Harmony with Nature: Is It Possible And How?

    東京大学UT OpenCourseWare | OCW Home
    DOISHIGERU
    DOISHIGERU 2012/04/09
    東京大学の講義資料が無償公開されている。
  • (僕は)大学で何を教えるべきか - bluelines

    前回エントリ、そこそこな炎上っぷりである。コメントくれた方々ありがとう。授業で、それまで黙っていた学生が、突然真剣に意見を述べ始めた時のことを思い出した。 ブログを始める以前に、今回の「何が悪い」を書いた際と同種の感情に突き動かされて、匿名ダイアリーでこんなことを書いたことがある。はてブの反応のパターンは今回ととても良く似ていた、と思う。ざっくりしたいいかたをするなら賛否両論。 でまあ、今回も追記を書こうと思って色々と考えていたんだけど、どうしても炎上マーケティングっぽくなってしまうのでやめた。代わりにもう少しポジティブな、建設的なことを書きたい(と思ったら自分語りになった)。 僕の今の勤務校はいわゆる中堅大だけども、仮にこれが東大だったとしても、学生の全てが研究のプロフェッショナルを目指すわけではない。特に僕の専門分野では、そんな酔狂な道に飛び込もうと考える学生なんて当に一握りである。

    (僕は)大学で何を教えるべきか - bluelines
  • こんなゼミに意義があるのだろうか。 - 泣きやむまで 泣くといい

    週に1度の非常勤講師。 そもそもこの大学ゼミの講師を引き受けたのは、前任者が実践現場の師匠的存在の人であり、彼が病気療養で休職することとなったからであった。ちなみに、偏差値的にはEランクの下位に属するぐらいの大学である。 師匠は、とても温厚で紳士的(に見える人)であり、人徳も豊かであり、おそらく学生をびしびし指導しようなどという気はなく、昨年度までゆるゆるのゼミ運営をされてきていた。何をやっていたかと言うと、特に何もやっていなかったようなのである。とりあえず出席した学生たちとしゃべっていたらしい。しかし、そもそも出席者は極めて少なく、開始時間に誰も来ていないことも珍しくなかったそうな。 突如として休職されることになり、後任を自分に託されたわけであるが、昨年度中のゼミ選択時は後任が決まっていなかったため、学生たちは彼の名前でゼミを選んでいる。シラバスも彼が書いている。 そして、4月。初回のゼ

    こんなゼミに意義があるのだろうか。 - 泣きやむまで 泣くといい
  • 論文指導の意義ってなんだろね、というおはなし - bluelines

    卒業論文の指導を放棄した大学教授 大学における「卒論」と「指導」の在り方 色々モメているが、要するに「卒論指導」には意味があるのか?ってことですな。 「あるに決まってるじゃん」って話をしたいと思います。 僕は学部時代にとある先生に出会ってこの世界に入った。先生からは学問の正にイロハを教わって、学問だけではなく生き方みたいなものまで教わって、もうなんかどれだけ感謝してもし足りない人だ。でもこの先生は、決して論文指導はしない人だった。卒論の時も修論の時も「試験ですから、できたものを持ってきてください」と言う。だから構想段階でのアポみたいなものは一切なし。提出したものに対しても、そんなに詳しいコメントをくれるわけじゃなかった。 まとめ内、渡邊芳之氏のツイート 何度も書いたことだけど,私の指導教官は私の修論についてはでき上がったものを見て「急いで書いたでしょ」と言った以外,なんの指導もしなかった。

    論文指導の意義ってなんだろね、というおはなし - bluelines
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