ブックマーク / note.kishidanami.com (2)

  • ゆでたまごは、美しい人の美しい話なのか|岸田奈美|NamiKishida

    向田邦子さんのエッセイ「ゆでたまご」が、SNSで話題になっていた。嬉しい。声が裏返った。 好きで好きで好きすぎるがゆえに、SNS上の反応ではまだ誰も書いていない感情がわたしのなかにあるので、いてもたってもいられず、恥も外聞もなく乗っかってみる。あとから恥ずかしくなってくると思うので、気が済んだらこのページは跡形もなく爆散する。 ゆでたまごは、向田邦子さんが「愛」について語る、文庫なら3ページに満たないエッセイだ。 「男どき女どき」に収録されているので、詳しくはおのおの手にとってほしい。 ざっとしたあらすじは、 小学校四年生の向田さんのクラスには、片足と片目の悪い“I”という子どもがいた。秋の遠足で、Iさんの母親が「これみんなで」と風呂敷と古新聞に包んだ大量のゆで卵を向田さんに押しつけ、向田さんはひるんだが、断ることができず受けとった。母親は歩いていくIの背中を見守っていた。運動会の徒競走で

    ゆでたまごは、美しい人の美しい話なのか|岸田奈美|NamiKishida
    DOKCN
    DOKCN 2021/07/18
    向田邦子の話は心をえぐられるものが多い。
  • おっちょこちょいで、うまくやれなくて、落ち込んでいるキミへ|岸田奈美|NamiKishida

    ※このnoteは、「フェリシモ CCP(チャレンジド・クリエイティブ・プロジェクト)」さんから依頼をうけて、ウキウキしながら書きました。小学生のころ、わたしの首にはいつも、びっくりするほど太い毛糸のネックレスがぶらさがっていた。親指より太かったと思う。 ネックレスの先には、宝石ではなく、鍵がついていた。 家の鍵だ。 わたしは、家の鍵をなんぼでも失くす子どもだった。 母があの手この手で、ランドセルにしばりつけたり、長年続く大会のトロフィーについてるヒラヒラより多くのキーホルダーをつけたりしたが、てんでダメだった。 どこでどう失くしてんのか、自分でもわからん。 奥の手が、びっくりするほど太い毛糸のネックレスだった。ずっとつけていた。登下校するにも、遊ぶにも、おつかいするにも。 バカみたいに目立つので、ゲームでいうところの「倒すと宝箱の鍵を落とすタイプのトロール」に見えてたと思うし、ネックレスと

    おっちょこちょいで、うまくやれなくて、落ち込んでいるキミへ|岸田奈美|NamiKishida
    DOKCN
    DOKCN 2021/02/27
    「ありがとう」って言う回数より「ごめんなさい」って言う回数の方が多くなると人の心はズタズタになっていく。人に迷惑しかかけてないと自覚することは地球のすみっこにちょっとずつ追いやられていくのと似ている。
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