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2011年6月15日のブックマーク (4件)

  • 勝敗分けた女性票/ペルー大統領選/フジモリ政権時代 強制不妊手術政策への恐怖感

    ペルーの大統領選では、経済政策の転換を主張したウマラ候補が、ケイコ・フジモリ候補を振り切って当選しました。新自由主義的経済政策の継続を望む経済界などの強力な支援で投票日数日前までわずかに優位に立っていたフジモリ氏が最後に敗北した背景には、女性票離れがあったと指摘されています。その原因は、父親アルベルト・フジモリ政権下で行われた貧困層の女性たちへの「強制不妊手術」問題でした。 (リマ=菅原啓) フジモリ政権は貧困削減をめざす人口抑制策の一環として山岳地帯の貧しい先住民女性にたいして、不妊手術を実施しました。被害女性の多くは十分な説明を受けず、強制されたものでした。この政策は月間1万2500件の手術など数値目標まで決めて推進され、その後の政府の調査で被害者総数は31万4000人に上ったと記録されています。 政権断罪なし 人権団体は、フジモリ政権下の人権じゅうりんとして改めてこの問題を取り上げ、

    D_Amon
    D_Amon 2011/06/15
  • 時事ドットコム:戦時下の日系人連行を謝罪=米収容所引き渡し「不法な拘束」−ペルー大統領

    戦時下の日系人連行を謝罪=米収容所引き渡し「不法な拘束」−ペルー大統領 戦時下の日系人連行を謝罪=米収容所引き渡し「不法な拘束」−ペルー大統領 【サンパウロ時事】南米ペルーのガルシア大統領は14日、太平洋戦争中に起きたペルー在住の日系人に対する排斥行為を「日人、日系人に対する人権と尊厳の重大な侵害だった。許しを請う」と謝罪した。ペルーの日系人の人口は世界で3番目に多い推計約9万人。  1941年12月の真珠湾攻撃後、当時のペルー政府は米国からの要請に応じ、国内の日系人数千人を拘束し、米国の強制収容所に引き渡した。大統領は「恣意(しい)的かつ不法な拘束だった」とした上で、「住宅や商店が襲撃され、土地も占拠されたが、ペルー政府は謝罪してこなかった」と釈明した。   ペルーと日は5月に経済連携協定(EPA)に署名したばかり。ガルシア氏がこの時期に戦時下の排日行為に言及したのは、トレド前政権下

    D_Amon
    D_Amon 2011/06/15
  • 日当9000円――なぜ原発で働く人の賃金は安いのか (Business Media 誠) - Yahoo!ニュース

    原発で働く下請け労働者の賃金は、高くない。震災前、ハローワークに出ていた求人票には「日当9000〜1万1000円」と書かれていた。被ばくの危険性が伴うのに、なぜ原発労働者の賃金は安いのだろうか。『週刊東洋経済』の現役記者が、その理由を明らかにした。 【画像:飛散防止剤を散布している労働者、ほか】 いまだ深刻な状態が続いている、東京電力の福島第1原発。放射線量の高い環境の中、電源復旧やがれき撤去などのために、東京電力の社員と下請け労働者による作業が続いている。 事故後、ハローワークのWebサイトに「福島第1原発でのバイト募集」が掲載され、このように書かれていた。「原子力発電所の清掃、修復工事の補助」「防護服や保護具などをつけて一日3時間ほどの作業」「賃金は時給1万円(3日3万円)」――。 では事故前にはどのくらいの賃金が支払われていたのだろうか。原発で働く労働者の取材を続ける『週刊東

    D_Amon
    D_Amon 2011/06/15
    こういうことは数十年前から知られていた。知られていながら人々はその不正義を見ようとしなかったのだ。
  • QOLと生検 - 我が九条

    娘が生まれるとき、我が父は入院していたが、一時外出で駆けつけるはずであった。初孫である。 しかし娘が生まれる翌日に手術の日程が入り、その準備のために病院に拘束され、その願いはかなわなかった。 父は腫瘍を生じていた。父はQOL(生活の質)を重視してくれ、と医者に言っていた。医者はQOLのために生検が必要だといい、手術に踏み切ったのである。よく行われている手術だから、大丈夫だとも説得した。 手術の結果、父は四肢の機能を奪われた。そして余命もほとんどない、という。そして手術には失敗はなかった、と病院側はいう。 しかし父の患部の手術が極めて難しいのは、私のようなド素人でも知っている。それほどのリスクをあえて冒す必要があったのか、とか、そんなに急いでなぜ手術に踏み切ったのか、とか。結局医者にとっては、患者の願いや人生よりも、手術をした、という実績のほうが大事なのだろう。そして難しい患部の手術を成功さ

    QOLと生検 - 我が九条
    D_Amon
    D_Amon 2011/06/15