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2015年5月2日のブックマーク (3件)

  • flowerwild.net - The Girl and the Brain──<br>D・フィンチャー『ソーシャル・ネットワーク』

    昨年末、ヨーロッパの知人・友人映画評論家たちが『ソーシャル・ネットワーク』(デヴィッド・フィンチャー監督、2010年)を2010年のベスト10の1に挙げているのを知った。他でもないFacebook上で見たのだ。離婚した元夫の動向を知るために架空のアカウントを作って「友達」になろうとする元、志願者の履歴書に記された内容の裏付けを取るためにサイトを利用する企業の人事採用担当者、「relationship status」(恋人の有無などについての情報を公開するプロフィールの項目)の更新をめぐって起こるカップルのいさかい、破局……風が吹けば桶屋が儲かるFacebook。利用者のプライベートとの癒着・密着度を示す実話の数々に、今後Facebookが日でも普及するか、といった議論自体、「今さら」感を与えるが、映画的フィクションと想像力はいかにインターネットのモンスターとその生みの親、マッドサイ

    De_Lorean
    De_Lorean 2015/05/02
    “登場人物達はあたかもワンショットにおいて、発言権とフォーカスを同時に争っているかのようだ”調停で取り上げられる論点とそれに合致する過去のシーンが、数年の時間の厚みなどないようにつなぎ合わされるスピー
  • 映画にとってインターネットとは何か(1) デヴィッド・フィンチャーへの不満 - qspds996

    この連載は、現在わたしが制作を進めている新作長編映画『落ちた影/Drop Shadow』(仮)の制作ノートです。neoneo webでの連載「Camera-Eye Myth/郊外映画の風景論」で展開した現実空間の場所論では扱うことのできなかった、人間の活動空間としてのインターネットを題材として、映画はそれをどのように描くことができるのか、あるいは描くことができないのかについて、先行する映画作品の分析をもとに考察していきます。 記事の公開は不定期、作品の完成および連載の終了は2015年中を予定しています。また今後、個人ブログから別のサイトへの移行も検討しています。無理のないペースで書き進めていきたいと思っていますので、気長におつき合いいただけましたら幸いです。 デヴィッド・フィンチャー『ソーシャル・ネットワーク』 映画にとってインターネットとは何か。この問いについて真剣に考え始めたきっかけは

    映画にとってインターネットとは何か(1) デヴィッド・フィンチャーへの不満 - qspds996
    De_Lorean
    De_Lorean 2015/05/02
    “映画を越えた機能を孕んでいるとされるインターネットは、まさに映画の「盲域」に位置しており、それ故に、インターネットを描こうとすると映画は機能不全を起こしてしまうのではないか。”
  • アダルトビデオ界の大物は、どんな男なのか

    <2>アダルトビデオで儲かるのは「販売」ではない <3>アダルトビデオ界の大物が切り拓く"新境地" 飄々(ひょうひょう)としてまるで飾るところがない。セーターにデニム、それにスニーカーといったいでたち。腕時計もしない。代わりに入館カードか何かが入ったプラスチックケースだけは律儀にも首からぶら下げている。長いことアダルドビデオ(AV)業界の「フィクサー」や「黒幕」と呼ばれてきた男にギラギラしたところやアクの強さはかけらもない。むしろ脱力系と言った方がいい。 謎の経営者とささやかれた男 「エロやってればたたかれる。目立たないようにせざるをえなかった。今は発信していかないと、社員が色眼鏡で見られてかわいそうだから。やってることを隠すつもりもないしね」 DMM.comグループを率いる会長の亀山敬司はかつてマスコミどころか社外の付き合いもほとんどなく、飲みに行くのも年に2、3回だけ。謎の経営者と言わ

    アダルトビデオ界の大物は、どんな男なのか