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ブックマーク / qspds996.hatenablog.jp (5)

  • ジャヤプラカーシュ・ラーダークリシュナン『レンズの向こう側』2015年 - qspds996

    Lens - Official Trailer | Vetri Maaran | G V Prakash Kumar | Mini Studio | Jayaprakash Radhakrishnan を蔑ろにしてアダルトチャットに夢中のアラヴィンド。彼はある日、Facebookで「Nilly S」と名乗る女性からの友達申請を承認し、誘われるがままにSkypeチャットを開くが、その正体はヨハンという男性だった。ヨハンはアラヴィンドの弱みを握り、自分が自殺するところをライブ映像で見届けてくれと奇妙な要求をする。 IT大国のインドにおいて、誰もが気軽に動画を公開・閲覧できるネット社会の暗部を描いたミステリー。後半では、寝室を盗撮され、ネットで拡散された夫婦の悲劇が語られる。盗撮の犯人だけでなく、その動画データが入ったUSBを拾いウェブにアップした者、動画を気軽な気持ちで見た者たちもまた、無自

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  • 2015年に見た新作映画ベスト20 - qspds996

    2015年に見た新作映画のベストです。『スターウォーズ』観終えたので追記しました 今年見た映画は新作/旧作と劇場/自宅合わせて320。ベストの最初の5は、未知の何かを見せてくれたもの、ひたすら遠くまで連れて行ってくれたもの。しばしば映画を見ていて「人間」観が貧しすぎると感じるのですが、そんな不信を良い意味で裏切ってくれたフィルムたち。6目以降は、ある面では保守的とも感じられるのだけれど、別の面でとても果敢な、映画の枠を軋ませるような挑戦があり、ワクワクさせてくれる瞬間のあったフィルムが並んでいるように思います。 あらためて、わたしは映画に「よくできている」ことなどまったく求めていないのだと感じます。ハリウッド大作の暴走にも近い魅力が飼いならされ始め、「よくできている」ことが(商業的にも批評的にも)大きな価値であるという空気が広がっているここ数年。来年はもっと凶悪で歪な映画が生まれてく

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  • 映画にとってインターネットとは何か(1) デヴィッド・フィンチャーへの不満 - qspds996

    この連載は、現在わたしが制作を進めている新作長編映画『落ちた影/Drop Shadow』(仮)の制作ノートです。neoneo webでの連載「Camera-Eye Myth/郊外映画の風景論」で展開した現実空間の場所論では扱うことのできなかった、人間の活動空間としてのインターネットを題材として、映画はそれをどのように描くことができるのか、あるいは描くことができないのかについて、先行する映画作品の分析をもとに考察していきます。 記事の公開は不定期、作品の完成および連載の終了は2015年中を予定しています。また今後、個人ブログから別のサイトへの移行も検討しています。無理のないペースで書き進めていきたいと思っていますので、気長におつき合いいただけましたら幸いです。 デヴィッド・フィンチャー『ソーシャル・ネットワーク』 映画にとってインターネットとは何か。この問いについて真剣に考え始めたきっかけは

    映画にとってインターネットとは何か(1) デヴィッド・フィンチャーへの不満 - qspds996
    De_Lorean
    De_Lorean 2015/05/02
    “映画を越えた機能を孕んでいるとされるインターネットは、まさに映画の「盲域」に位置しており、それ故に、インターネットを描こうとすると映画は機能不全を起こしてしまうのではないか。”
  • 門眞妙さんの絵画についての短いテキスト - qspds996

    門眞妙さんの絵画についての短いテキストを書きました。 このテキストは中国語に翻訳され、今月台北でおこなわれるアートフェア「Young Art Taipei」で、門眞さんの作家紹介のようなかたちで公開されるそうです。 門眞さんの出品作品は、4月3日(金)から新宿眼科画廊にておこなわれる上記アートフェアのプレビュー展でも見ることができますので、ぜひともご覧ください。 「preview of YAT」展 LEE KAN KYO / MIRAI / 町田ひろみ / 門眞妙 http://www.gankagarou.com/sche/201504previewofyat.html 以下、執筆したテキストの日語版を掲載します。同世代の作家について書くのはとても楽しい経験で、またこういう機会があれば良いなと思っています。 そのたびごとにただひとつ 門眞妙の絵画について 門眞妙は「風景」と「少女」をく

    門眞妙さんの絵画についての短いテキスト - qspds996
    De_Lorean
    De_Lorean 2015/04/08
    “一見何も変わらないようで、実の所、いつまでも同じものなど何ひとつないのだということ。そんな事実を門眞は平面に刻みつける。とりわけ近年の作品に描かれた少女たちは皆、自身が少女であることからの卒業を間近
  • 揺動メディア論 イントロダクション - qspds996

    1 安易な手ぶれ映像 映画批評や感想サイトなどでしばしば見かけるのが、「安易な手ぶれ映像」というような言葉である。このことは、「安易な固定映像」という言葉を見かけることがないことと併せて、手ぶれ映像の置かれた状況を象徴している。手ぶれ映像を語ろうとしたとき、わたしたちはあまりにも貧しい言葉しか持ち合わせていないことに途方に暮れてしまうだろう。ここで世界各国の映画研究を参照することはできないが、少なくとも日国内においては、今のところ手ぶれ映像独自の表現を体系的に記述した論考やまとまった議論は見当たらない。手ぶれ映像は、これまでの映画史のなかで、常に周縁的なものとしてしか扱われてこなかったのだ。 そして、数少ない手ぶれ映像についての言及も——先ほどの「安易な手ぶれ映像」という言葉が示すように——楽をして「臨場感」や「リアリティ」を得るための手法であるという批判が大半を占めている。たとえば90

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