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Sociologyとメディア論に関するDe_Loreanのブックマーク (5)

  • ワークショップ記録

    現在、このページでは2010年度のワークショップ記録のみ閲覧いただけます。 2011年度以降の記録は、トップページ上の「ワークショップの開催記録及び今後の予定」から各回の「ワークショップ記録」をクリックしてご覧下さい。 第六回 芸術の脱文脈化(久保 哲司) Ⅰ. ベンヤミンにおける〈アウラ〉の用法 「ドストエフスキーの『白痴』」(1921年発表) 「ゲーテの『親和力』」(1921-22年成立、24-25年発表) 「〈イラスト入り新聞〉には異議なし」(1925年成立) 「覚書および資料(『パサージュ論』)」(1927-1940年成立) 「薬物実験の記録」(1927-1934年成立) 「カール・クラウス」(1931年発表) 「批評家の使命」(1931年成立) 「写真小史」(1931年発表) 「占星術について」(1932年頃成立) 「複製技術時代の芸術作品」(初稿1935年成立、第2稿1935-

    De_Lorean
    De_Lorean 2015/05/30
    “第六回 芸術の脱文脈化”
  • フリードリヒ・キットラー「グラモフォン・フィルム・タイプライター」 - モナドの方へ

    書は、グラモフォン(蓄音機)、フィルム(映画)、タイプライターというテクノロジーが、いかにメディアに影響を与えるか、広く言えば人間の精神活動に影響を与えるかを、ラカンの理論等を用いながら具体的に例証してゆくである。 たとえば手書きの文章と、キーボードで打った文章と、携帯電話で入力した文章は、同じ人が書いてもかなり違うものとなるし、入力ソフトウェアや出力される形式によってもまた変わってくるだろう。そんなことはクドクド説明しなくたって、ブログをせこせこ更新し、さまざまなwebサービスを使っている我々が今一番身にしみて感じていることではないだろうか。 その割にはテクノロジーの進化がメディア(例えば文学)などにいかなる影響を与えているのかを問うている論考というのは意外なほど少ない。ややもすれば精神主義の立場をとる人から叩かれるほどだ。 さてそんな議論を展開するキットラーだが、大いなる先人マクル

  • http://www32.ocn.ne.jp/~beatific/media.html

  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
    De_Lorean
    De_Lorean 2014/11/05
    このことが何をあらわしているかというと、これらの行為をグラモフォンやフィルムやタイプライターが"代行"している以上、われわれはこれらのメディア機械によってまだわれわれが気がついていないかもしれない「世界
  • 書評空間:UMATフォーラム@書評空間: 『書き込みシステム1800/1900』(未邦訳)フリードリヒ・キットラー

    →紀伊國屋書店で購入 ●「私たちの知のあり方は、言説を保存し、記録するシステムの論理によって決定される」 ふだん、私たちは自由に世界を見わたし、物を考えている。私たちは目の前の事物をごく自然にまなざし、それに意味を与えていく。まなざし、意味を与える「私」が世界の中心にいて、世界を知覚し、意味の秩序を与えることは、ふだん私たちが何の変哲もなく行っていることだ。 しかしそうした「人間主義的」なパースペクティヴは、フーコー『言葉と物』によって打ち砕かれた。私たちの世界への関わり方、物の考え方は、あたかもソフトの最適化がコンピュータのフォーマットに従わざるをえないように、その時代ごとに存在する《フォーマット》に規定されている――それが『言葉と物』の主張だった。 キットラー『書き込みのシステム』も、この《フォーマット》を理解する試みとして位置づけることができるだろう。その際、この《フォーマット》を論

    書評空間:UMATフォーラム@書評空間: 『書き込みシステム1800/1900』(未邦訳)フリードリヒ・キットラー
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