タグ

ブックマーク / dergeist.hatenablog.com (8)

  • 「どん底からでも努力次第で再スタートできる」なんて嘘に決まってる - 長椅子と本棚2

    今週大量のブクマを集めた以下の二つの記事。 「何かをするには自分はあまりに遅すぎた。」と気づいてからが当のスタート - teruyastarはかく語りき 「疑わない」という怠惰について - 24時間残念営業 気づいてる人は気づいてると思うのですが、この二つ、好対照をなしています。つまり、前者は、 上を見て後悔してたらどの立場でも常にそんなものです。 「もっとこうしてれば良かった」にはキリがない。 でもそこに気づいてから、、 自分に配られたカードがストレートフラッシュではなく、 条件最悪のブタだった事に気づいてから そこからどう展開していくかと動くのが当のスタートですよ。」 と述べ、「弱者のあなた」の見方をする素振りを見せつつ、スティーブ・ジョブズ、堀井雄二、アーノルド・シュワルツェネッガーなんかのフェニックス的エピソードを紹介し、「いろいろ締め切りに遅れた時こそ気を出せるんじゃないで

    「どん底からでも努力次第で再スタートできる」なんて嘘に決まってる - 長椅子と本棚2
  • 「啓典宗教における神の絶対性について」はヤバい - 長椅子と本棚

    啓典宗教における神の絶対性について とにかく致命的に粗いです。論理的な飛躍も随所に見られます。ちょっと勉強した大学1年生が作ったメモ、といったところだと思います。最初見たときツッコミ入れるまでもないだろと思ってスルーしたのですが、ブコメで称賛されてるのを見て危機感を覚えたのと、常日頃、自分が適当なことを書いてしまった時は誰かに訂正してほしいと思っているので、ちょっとだけツッコミを入れておきます。 啓典宗教における神の絶対性について まず、この表題が間違っています。当に言いたいことはこれじゃないはず。これについてはあとからまた問題にします。 ユダヤ教ならびにその影響を受けた宗教(キリスト教、イスラム教)を啓典宗教と言います。 「啓典宗教」? いきなり怪しい。この言葉は使わないほうが良いと思います。理由の第一は、これがイスラム教の術語で、あまりニュートラルな言葉ではないということです。「啓典

    「啓典宗教における神の絶対性について」はヤバい - 長椅子と本棚
  • 人狼における恋人陣営の戦略とかオフレポとか - 長椅子と本棚2

    昨日、Twitterで昔から仲良くしている皆さんと一緒に、こちらの人狼会に参加して参りました。 5/5 セシオン杉並 GW人狼会-2013 開催のお知らせ - かこのじゅばく それで、オフレポというやつを書いてみたいのですが、普通の日記を面白おかしく書く技量はないので、ちょっと変則的に考察っぽいものを書いてみます。ちなみに私は人狼弱いですので、あんまり信用しないで疑ってかかる感じで読んでいただくことをおすすめします。 「恋人村では初日フルオープン」とその対策 終盤の一局。私はQPを引き当て、@blauesさんと@pes_soさんを恋人に指名しました。その村の話。今回の人狼会では、「恋人村では初日で占い・霊能・共有オープン」がセオリーとして受け入れられていました。ある程度有効なセオリーだとは思うのですが、確実にこれの戦術がとられるとわかっている場合に、キューピッドはどう対応すべきか、というこ

    人狼における恋人陣営の戦略とかオフレポとか - 長椅子と本棚2
    DecoyMaker
    DecoyMaker 2013/05/07
    QP引いて占いを騙らず、「真狂Qで3COになるはずなのに占いCOが少なすぎる。真占いが恋人で潜伏してるのでは?」とか主張したい。その状態でGJ出たらすかさず狼騙りしてみたい。
  • 人狼は嘘をつくゲームではない - 長椅子と本棚2

    「人狼は嘘をつき騙し合うゲーム」という嘘 このところ、人狼の注目度が上がっていると聞く。そのこと自体の是非はとりあえずどうでもよい。ただ、「嘘をついて人を騙すゲーム」として人狼が紹介されていることには、強い違和感がある。 確かに、ゲームの中で嘘をつかなければならない場面は存在する。しかし、その場面は意外に少ない。というか、明確な仕方で嘘をつく場面というのは、狼陣営で、占い師などの役職を騙るときだけである。嘘をつくことは、かなり限定された場面での戦術の一つにすぎないのである。 そもそも、嘘をつくのは狼陣営だけだ(ハムスターや恋人などの第三陣営は今回は考慮しない)。しかし、ゲームに参加すると、村人になる確率の方が圧倒的に高い。そして、村人は、嘘をついたり、誰かを騙したりしない(少なくとも普通は)。これだけのことからも、嘘をつくことが人狼というゲームの中心でないことはわかる。 「騙し合い」という

    人狼は嘘をつくゲームではない - 長椅子と本棚2
  • ブログは論破されることに意味がある - 長椅子と本棚2

    今日は私がブログを書く理由について書きます。それは、論破されるためです。言い換えると、自分の見識がいかに狭量で間違っているかを知るためです。 このブログの記事は、見て頂ければわかるのですが、おそらくはいかにもドヤ顔感いっぱいの上から目線な雰囲気に仕上がっています。でもこれは、別に「真理に気づいてしまった俺が無知な読者のお前らに教えてやろう」と思ってやっていることではありません。そうではなくて、自分がその時点で正しいと思うことを出来る限り率直かつ簡潔に述べることが、議論の作法であり、書き手の責任だと考えているからです。 特にブクマが伸びた記事などでは、しばしばコメントで辛辣な批判もいただいています。しかも、そうした辛辣なコメントの多くは、私の記事側の間違いを的確に突いています。この2ヶ月書いてきたことの半分くらいは、既に間違っていたのではないかと考えるようになっている程です。これははっきり言

    ブログは論破されることに意味がある - 長椅子と本棚2
  • 論点整理:実名報道 - 長椅子と本棚2

    実名報道の是非についての議論が白熱の様相を呈しておりますが、炎上案件の例に漏れず、議論の中心がはっきりしないままに論点が拡散しそうな感じになって参りましたね。というわけで、個人的なメモも兼ねつつ、ちょっと論点を整理してみたいなと思います。 これまでのあらすじ ざっくりした経緯のまとめ。まず事の発端となった遺族関係者・白水氏と朝日新聞の諍い。この問題に関しては、白水さんのおっしゃることが事実であるならば、朝日新聞を擁護する余地はなさそうですね。言語道断です。小賢しい話に入る前に、ここのところは、最初に確認し、強調しておきたいと思います。しかし、朝日新聞を擁護する論調の中から、それでも実名報道をすべきではないのか、という議論が出てきました。このことを発端に、そもそも実名を公表し、遺族の声を報道することに義はあるのか否か、という、議論が開始されます。ここから、事は匿名・顕名のマスコミ関係者と

    論点整理:実名報道 - 長椅子と本棚2
  • ドラクエと高橋みなみ、あるいは北九州予備校:ゲームにおける「プロセス」とは何か(2) - 長椅子と本棚2

    ドラクエとかけて高橋みなみと解きます。その心は? 答えは、「努力は実る」。この、北九州予備校の生徒をを洗脳し続けてきた言葉が、RPGにおけるプロセスの特殊さを理解するためのキーワードです。 というわけで、今回は前回の記事(シューティングとじゃんけんの共通点:ゲームにおける「プロセス」とは何か - 長椅子と棚)の続きのゲーム論です。今回は、前回ほのめかしていましたが、RPGにおけるプロセスの特異さについて。基的にはこの記事だけ読んでも意味が通るようにしてありますが、前回の記事も合わせて読んでいただけると理解は深まるかと思います。 一般的なゲームにおけるプロセス さて、前回、ゲームにおけるプロセスの特徴は、意図したことと実際の結果の間に「ずれ」が生じる状況にある、と書きました。もっと簡単に言うと、(というか、前回はそう書けてなかったけど記事を書いたあとでだんだんこう言えばよかったんじゃない

    ドラクエと高橋みなみ、あるいは北九州予備校:ゲームにおける「プロセス」とは何か(2) - 長椅子と本棚2
  • シューティングとじゃんけんの共通点:ゲームにおける「プロセス」とは何か - 長椅子と本棚2

    いつか書こう書こうと思っていたネタなのですが。きっかけになったのは、しんざきさんが昔書いてたこちらの記事。 私がソーシャルゲームをつまらないと思う理由・あるいはゲームから「プロセス」が剥ぎ取られていく、という話 ここでは、ゲームにおいて最も重要なのは「プロセス」なのに、ソーシャルゲームにはそれが欠けているのではないか、という議論がなされています。 こうした背景を見据えつつ、ここでは、ゲームにおける「プロセス」がどのような特徴を持っているか、ということについて、「行為の哲学」と呼ばれるものを踏まえると、もう少し見通しがよくなるんじゃないか、というようなことを考えてみたいと思います。これを考えていくと、ソーシャルゲーム(の一部)やスロット、あるいはじゃんけんのような非常に単純なゲームと、アクションゲームやシューティングゲームのようなより複雑なゲームの間で、どこが共通で、どこに違いがあるのか、よ

    シューティングとじゃんけんの共通点:ゲームにおける「プロセス」とは何か - 長椅子と本棚2
  • 1