historyとmusicに関するDersuのブックマーク (8)

  • なぜ男は骨法のテーマを聞くと胸が熱くなるのか | 連載JP

    Dersu
    Dersu 2021/02/16
    「男はなあ…みんな骨法が好きなんだよ!」
  • 太田裕美 京都円山野外音楽堂(昭和53年10月)

    8ミリフィルムカメラで撮影しました。当日は数人のアマチュアカメラマンが、ステージ前に陣取っていました。

    太田裕美 京都円山野外音楽堂(昭和53年10月)
    Dersu
    Dersu 2013/04/12
    これはメチャクチャ貴重な映像。太田裕美がライブでアニソンメドレーとかやってたのか… 「木綿」歌ってる時のファンのプレゼント手渡しなど当時のコンサート作法が興味深い
  • 「告白」するとエラくなるというワザが今は通用しない。いい時代なのかな?(我々はアイドルをどう消費…Part.11) - kenzee観光第二レジャービル

    「告白」するとエラくなるというワザが今は通用しない。いい時代なのかな?(我々はアイドルをどう消費…Part.11) 司会者「で、90年代のテレビバラエティ的な「空気読み」の能力がアイドルリテラシーとして強力に求められる時代からゼロ年代に至るまでに「告白文学」の潮流があったという話ですが」 kenzee「ネット文化が花ひらく直前に告白ブームがあった。まず、音楽シーンでまっさきに思いつくのは浜崎あゆみの登場だ。浜崎は元B級アイドルで1998年に歌手として再スタートを切る。彼女の音楽の最大の特徴は自作詞であったことだ。そして、その歌詞は当時の10代の女性の大きな支持を得る。ここまではみんなよく知ってる話だけど、ほぼ同時期に「告白」で大ブレイクした例がある。飯島愛「プラトニック・セックス」である。これは170万部を超えるベストセラーとなり、今ではブックオフの100円コーナーの定番である。のちに映画

    「告白」するとエラくなるというワザが今は通用しない。いい時代なのかな?(我々はアイドルをどう消費…Part.11) - kenzee観光第二レジャービル
    Dersu
    Dersu 2012/11/13
    「告白という制度」による飛び級を、テレビ的同調圧力が支えていたという話
  • 本当の自分、捜し求めて(笑)(ボクのコム論Part.3~速水健朗「自分探しが止まらない」ソフトバンク新書) - kenzee観光第二レジャービル

    当の自分、捜し求めて(笑)(ボクのコム論Part.3~速水健朗「自分探しが止まらない」ソフトバンク新書) 司会者「まだコムロで引っ張るのかよ! アンタ当にkenzee賞やる気あんのかよ! この半年の小説のレビュー何個だよ! もう、コムロの話はやめなはれ!」 kenzee「速水健朗さんの「自分探しが止まらない」を読んだ。著者の速水氏はボクの一つ上で、1973年生まれ。この年はもっとも出生人口が多い年でいわゆる団塊Jr.といわれる世代だ。73年生まれといえば柴崎さんなどがいる。で、速水さんの同世代の友人などの傾向として成人してから「自分探し」目覚めちゃうヤツが多いのだそうだ。20代を放浪の旅に費やすヤツ、ピースボートで世界一周したヤツ、30過ぎて海外青協力隊でアフリカに行くヤツ。そういうちゃんと就職しないで「自分探し」の方にいっちゃう人が多い、と。そして速水氏自身、就職活動で出版社など数社

    本当の自分、捜し求めて(笑)(ボクのコム論Part.3~速水健朗「自分探しが止まらない」ソフトバンク新書) - kenzee観光第二レジャービル
    Dersu
    Dersu 2012/09/18
    歌謡曲に見る「自分探し」の時代
  • 「中二」という病(やまい)と音楽産業

    若者が盗んだバイクで走り出したり、支配から卒業していた時代は遠くに過ぎ去った。いま音楽産業は「中二病」を取り込めていないのではないか。作家・堀田純司さんによる新連載の第1回目。 オリコンデイリーランキング3位が693枚という時代。若者が盗んだバイクで走り出したり、支配から卒業していた時代は遠くに過ぎ去り、現代のメジャー音楽は「中二病」を取り込めていないのではないか。昨今のコンテンツ事情に詳しい作家・堀田純司さんの連載1回目は中二病と音楽産業について。(編集部) 先日、オリコンのデイリーランキングで、「1日の売上693枚のCDが3位に入った」という話題がネットに流れ「じゃあ数百枚買えば、自分の出した“オレCD”でもオリコンのランキングに入ることができるのか!」と、大いに注目を集めました。 かつてバンドブームの時期に青春を過ごし、ミュージシャンを夢見て東京に出てきた過去を持つ私にとっても、感慨

    「中二」という病(やまい)と音楽産業
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    Dersu 2012/05/28
    「思春期産業」の変遷について
  • サウンド・オブ・ミュージック (映画) - Wikipedia

    『サウンド・オブ・ミュージック』(英: The Sound of Music、「音楽の調べ」の意)は、1965年に公開されたロバート・ワイズ監督、ジュリー・アンドリュース主演のミュージカル映画。20世紀フォックス配給。 概要[編集] ドイツによるアンシュルスを逃れてオーストリアからアメリカ合衆国に亡命したゲオルク・フォン・トラップ大佐は、家族で合唱団を作り、アメリカで興行して成功を収めた(トラップ一家(英語版))。ゲオルクのマリア・フォン・トラップは、1949年に自叙伝『トラップ・ファミリー合唱団物語(英語版)』を著し、ベストセラーとなった。この原作をリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世の名コンビが1959年11月にブロードウェイでミュージカルとして初演し、大当たりとなった。 この映画はそのミュージカル版『サウンド・オブ・ミュージック』を原作とするミュージカル映画で196

    サウンド・オブ・ミュージック (映画) - Wikipedia
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    Dersu 2011/11/13
    「伝記がミュージカル化される際、マリアは事実が脚色して描かれる事には寛容だったが、亡き夫が横暴に描かれるシーンにだけは納得しなかった」
  • マリア・フォン・トラップ - Wikipedia

    マリア・アウグスタ・フォン・トラップ(Maria Augusta von Trapp、1905年1月26日 - 1987年3月28日)は、オーストリア生まれの人物。元オーストリア海軍将校ゲオルク・フォン・トラップと結婚し、亡くなった前の子供たちと自らの子供たちでトラップ・ファミリー合唱団を結成して有名になる。彼女の自叙伝を脚色してつくられたのがミュージカル・映画『サウンド・オブ・ミュージック』、映画『菩提樹』『続・菩提樹』、テレビアニメ『トラップ一家物語』である。 生涯[編集] 生い立ち、トラップ家との出会い[編集] 生まれてすぐに母アウグスタ・ライナー(Augusta Rainer)を亡くしたマリアは、父カール・クチェラ(Karl Kutschera)の手で親戚に預けられたが、父も9歳のときに失った。やがて親戚との折り合いが悪くなると、彼女は家を出て全寮制の学校に入った。1923年、マ

    マリア・フォン・トラップ - Wikipedia
    Dersu
    Dersu 2011/11/13
    「ミュージカルは大ヒットしたが、あまりに現実とかけ離れた物語やゲオルクの人物造形にマリーアと子供たちはショックを受けた」
  • 過去の遺物を今に伝える、これが一斉を風靡した「ラジカセ」だ : カラパイア

    大きいおともだちのお家には、もしかしたらまだあるかもしれない、CDプレイヤーとかはまったく搭載されていないカセットテープとラジオが主流のラジオカセットプレイヤー、通称「ラジカセ」。そのラジカセのナウいタイプの画像がたくさん紹介されていたので見てみることにしようそうしよう。

    過去の遺物を今に伝える、これが一斉を風靡した「ラジカセ」だ : カラパイア
    Dersu
    Dersu 2010/02/28
    ラジカセかっけー
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