●●小雪がちらつく埼玉スタジアムの記者席で、ふと、遠くラス・パルマスでプレーしている福田健二のことを思った。 ワールドカップ(W杯)アジア3次予選、日本は初戦のタイを4−1で破って上々の滑り出しを見せた。この3次予選は、おそらく国内組だけでも十分に勝ち抜けるだろう。だが、最終予選、そして本大会での厳しい戦いを考えたとき、どうしても必要となるのが、強烈なキャラクターとゴールへの嗅覚(きゅうかく)を兼ね備えた、「日本的でない日本人ストライカー」の存在ではないか。規格外の在外日本人ストライカー、高原直泰が「国内組」となった今、海外でコンスタントにゴールを量産しているのは、福田健二を置いてほかにはいない。 2004年に日本を飛び出して以来、グアラニ(パラグアイ)、パチューカ、イラプアト(いずれもメキシコ)、カステリョン、ヌマンシア、UDラス・パルマス(いずれもスペイン)でプレー。昨シーズンまで
カフェでミーティングをするのが好きだ。何かあらかじめ決まっている議題について次から次へと決定していく会議は会議室でやる方が良いが、サービスの新しい方向性を考えるためのブレストや、どうしたら良いのか困っている問題の解決方法を考えるような場合はよく外に出てカフェで話し合いをする。 特にアメリカにいる間はオフィスが狭かったこともあってよく外に行った。Palo Alto周辺で好きだったのは、まずShoreline Golf Links。ゴルフコースの中にレストランがあって、目の前に池がありそれを眺めながらオープンテラスで食事ができる。池を泳ぐ鴨を眺めるのが好きだった。 それからUniversity Coffee Cafe。Stanford大学の関係者と思われる若い人が多く、女性も多くて活気があるので、なんとなく元気が出る。あとは、テーブルの上にいつも白い大きな紙がひいてあるので、その上に出てきたア
第1回全日本剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日本剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を 第1回全日本剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日本剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を超える 観衆が集まった。 本大会は、戦前の剣道界の慣習であった専門家、非専門家の区別を廃し、選手の資格は年齢、段位、称号などに一切の制限を設けず、 各府県の予選を経て代表者を出し、剣道日本一を決するという画期的な構想によるものだった。 優勝の榊原正は大正9年愛知県蒲郡市生まれの33歳、名古屋矯正管区法務教官(剣道師範)、のちに剣道範士八段。戦前は名門東邦 商業で活躍した剣士。準優勝の阿部三郎は大正8年福島県相馬生まれの34歳、警視庁の剣道選手でのちの
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