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この日刊イオに、「日本は朝鮮を敵対視するな」とか、「朝鮮学校を差別せず高校無償化を適用せよ」とか、少しでも日本を批判するようなことを書くと、必ず「抗議のコメント」を送ってくる人たちがいます。たぶん、日本人なのでしょう。仮名で正体を明かしていないのでわかりませんが。 例えば、日本軍「慰安婦」問題を書くと「日本に補償する義務はない」というコメントが来たり、日本は朝鮮と仲良くすべきだということを書くと「あんな北朝鮮は敵視するのは当たり前」というコメントが来たり、高校無償化のことを書くと「朝鮮学校は外国人学校だからお金を出す必要はない」「朝鮮学校は反日教育をしているのでお金を出す必要はない」というコメントが来たりという感じです。 話は変わりますが、9月16日の日曜日に都内で「仮放免者の会 第2回大会」が開かれました。私も今年のはじめに仮放免者の方たちを取材し月刊イオで取り上げたので参加しました(写
思考が不徹底です。「不道徳」とか「反社会的」というのはどのような意味なのか、考えたことがありますか。「道徳」「社会」と言うことで、自分が何を指しているのかちゃんとわかっていますか。「社会を良くする」の「良く」とはどのような方向ですか。全て、具体的な基準を示さない限りは全く意味を持たない言葉です。それをきちんと考えた上でなら、もう少し真面目にお答えすべき問になっていたと思うのですが。 まず最大の問題は、(あなたのだらしない言葉遣いに従うなら)「道徳的」であることと「不道徳」であること、「社会的」であることと「反社会的」であることは、作品の美的な評価においては何ら意味を持たない、ということです。殊更に「不道徳」や「反社会性」を持ち上げるのは、「道徳」や「社会性」を持ち上げるのと同じくらい意味がない。 特にどうしようもなく無意味と私が感じるのは、「道徳」の「不道徳性」や「不道徳」の「道徳性」
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