太平洋戦争末期、福井県おおい町大島に、水中特攻兵器「蛟龍(こうりゅう)」の本格的な基地が実際に存在していたことが分かった。蛟龍は本土決戦における日本の切り札として開発された特殊潜航艇。その建造施設と訓練基地の計画を記した資料通りの場所で、当時掘られたとみられる壕(ごう)の跡が確認できた。 【写真】本土決戦の切り札として開発された特殊潜航艇「蛟龍」 大島の水中特攻基地は、終戦後間もない1945年9月1日の日付で連合国軍総司令部(GHQ)に提出された「舞鶴海軍施設部引渡目録」に記されていた。アジア歴史資料センターが公開している文書によると、基地は島根県松江市七類の無人島「九島(くしま)」と石川県穴水町麦ケ浦にもあったが、ともに通信施設や魚雷格納庫など数カ所の小規模な基地だった。 これに比べ、大島は製造施設と訓練基地からなる大規模なもの。目録によると、製造は船体に装置などを取り付ける艤装場のほか
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