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歴史に関するDrooperのブックマーク (14)

  • ニュースUP:被ばくから56年、第五福竜丸=串本通信部・山本芳博 - 毎日jp(毎日新聞)

  • 坂本竜馬の婚約者、千葉さなが結婚? (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    竜馬の婚約者で生涯独身を貫いたとされる千葉さな(1838〜96年)が、竜馬の死後、元鳥取藩士と結婚していたとする明治時代の新聞記事が、3日までに見つかった。 旧鳥取藩の文書から藩士の実在が確認されるなど、発見した歴史研究家あさくらゆうさんは「記事はかなり正確」としている。故司馬遼太郎氏のコラムなどから独身説が広く知られているが、記事は通説を覆すことになりそうだ。 さなは「北辰一刀流」を開いた千葉周作の弟定吉の娘。江戸の剣術修行で千葉一門に入門した竜馬は、さなと知り合い婚約したとされている。 記事は明治3年(1871年)に横浜で創刊された毎日新聞(現在の毎日新聞とは無関係)が1903年8〜11月に連載した「千葉の名灸(きゅう)」。さなが晩年、千住(東京都足立区)で営んだきゅう治院の来歴などを描く内容で、さなの親族に取材して書かれた。 10月4〜5日の記事によると、明治6年に横浜に移り住ん

  • 盗まれたデカルトの書簡をグーグル検索で発見、150年ぶりに里帰り

    フランスの哲学者ルネ・デカルト(Rene Descartes)の書簡。150年以上前に盗まれていたが、オランダのデカルト研究者がグーグル(Google)の検索で米国のハーバーフォード・カレッジ(Haverford College)の特別コレクションに含まれていることを発見し、このほど元の所蔵主のフランス学士院(Institut de France)に返還された(2010年2月25日公開)。(c)AFP/HAVORFORD COLLEGE 【6月10日 AFP】今から150年以上前にイタリアの貴族によって盗まれたまま所在が分からなくなっていた17世紀フランスの哲学者ルネ・デカルト(Rene Descartes)の書簡が、このほどグーグルGoogle)の検索で発見され、所蔵していた米大学の図書館からフランスへ8日返還された。 この書簡は「我思う、ゆえに我あり」の言葉で有名なデカルトが1641

    盗まれたデカルトの書簡をグーグル検索で発見、150年ぶりに里帰り
  • 「ノアの方舟」確率99.9%で発見と探検チーム、トルコ・アララト山頂

    旧約聖書に登場する「ノアの方舟(はこぶね、Noah's Ark)」を探す探検チーム「ノアズ・アーク・ミニストリーズ・インターナショナル(Noah's Ark Ministries International)」が、トルコのアララト山(Ararat)山頂で発見した木造構造物の内部の棚。探検チームは方舟の残がいだとしている(2010年4月27日撮影)。(c)AFP/Noah's Ark Ministries International (NAMI) 【4月29日 AFP】旧約聖書に登場する「ノアの方舟(はこぶね、Noah's Ark)」を探す中国とトルコの探検家チームが26日、方舟が漂着したといわれるトルコのアララト(Ararat)山の山頂付近で、方舟の木片を発見したと発表した。 トルコと中国の「キリスト教福音派」の考古学者ら15人からなる探検チーム「ノアズ・アーク・ミニストリーズ・インターナ

    「ノアの方舟」確率99.9%で発見と探検チーム、トルコ・アララト山頂
  • asahi.com(朝日新聞社):「死の行進」写真説明を訂正 AP通信、65年前に配信 - 国際

    「バターン死の行進」=AP  【ニューヨーク=田中光】AP通信は18日、65年前に配信した第2次世界大戦時の写真について、「バターン死の行進」とあった写真説明を、「行進の後」と訂正した。生存者の証言がきっかけで調査が進み、歴史的な写真の訂正は珍しいという。  「行進」はフィリピンのバターン半島で1942年に起きた。米比軍8万人が降伏したが、大量の捕虜受け入れの準備ができていなかった日軍が80キロ以上の道を歩かせ、数千人以上の死者が出たと言われている。  問題の写真は、米軍が日人から入手したもので、「バターン死の行進で捕虜たちによって運ばれる死傷者たち」として45年に配信された。戦後も各メディアで使われ続けたが、ニューメキシコ州に住む行進の生存者が昨年8月に掲載された写真説明は事実と違うと地元紙に連絡し、AP通信で調査が始まった。その結果、国立公文書館で保管されていたメモなどから、写真は

  • 東京バベルタワー:10000mの建造物 - Active Galactic : 11次元と自然科学と拷問的日常

    高度1万メートル:エベレスト/チョモランマより高く対流圏の終わるところ、気温は零下50度、大気は地上の4分の1、ジェット機が飛ぶ高さまで聳え立ち、関東一円の人口を吸収できる建造物のプロジェクトをご存知だろうか。 バブル期の黒歴史になってしまったのかもしれないけど、東京バベルタワー(Tokyo Babel Tower)に関する情報ってネット上でほとんどないよね。ゼネコンの考えたSkyCity (清水建設)やXeed4000 (大林組)大成建設の資料は残っているのに、バブルの極北たる東京バベルタワーの解説ページが皆無だとはね。あの時代の独特の空気を代表するプロジェクトがこのまま歴史の闇に葬られるのは忍びないし、ちょうど発案者が今年で退任なされるということで記念に基礎データいくつか資料を引用しておく。 プロジェクト名:東京バベルタワー 提案者:尾島俊雄 早稲田大学教授 提案:ブラジル環境サミット

    東京バベルタワー:10000mの建造物 - Active Galactic : 11次元と自然科学と拷問的日常
  • タウベ (航空機) - Wikipedia

    ドイツ技術博物館に展示されているタウベ エトリッヒ・タウベ(またはルンプラー・タウベ)は、オーストリアなどでつくられた初期の航空機である。第一次世界大戦初期の軍用機のひとつである。 概要[編集] 1910年に初飛行した。ドイツのルンプラー社とライセンス契約して生産が始まったが、ルンプラー社がライセンス料を支払わないので、エトリッヒは特許を放棄し、ルンプラーをはじめ、アルバトロス、ゴータ、DFW、ハルバーシュタットなど多くの会社が製造し、約500機が生産された。極めて安定性の高い飛行機で、第一次世界大戦が始まると軍用機として用いられたが、運動性能は悪かったので1915年夏には前線から退いた。その後は練習機として用いられた。 日でも1914年に帝国飛行協会が2機を輸入した。大正博覧会で展示された他、第1回民間飛行大会で磯部鉄吉の操縦で航続記録を出すなど好成績を収めた。第一次世界大戦では、青島

    タウベ (航空機) - Wikipedia
    Drooper
    Drooper 2010/02/28
    ハト型飛行機エトリッヒ・タウベの資料
  • 伝説的海賊の頭骨盗まれる=ドイツ(時事通信) - Yahoo!ニュース

    【ベルリン時事】ドイツのハンブルク歴史博物館は20日、14世紀末にバルト海を支配した伝説的海賊クラウス・シュテルテベーカーのものとされる頭骨が盗まれたと発表した。 頭頂部に大きなクギが刺さった印象的な頭骨で、博物館の目玉となっていた。盗まれたのは9日で、犯人は開館時間に入場者を装って侵入したとみられる。 シュテルテベーカーは義賊として知られたが、ハンザ同盟から敵視され、博物館によると1400年に仲間30人とともに斬首された。頭骨は1878年、ハンブルクの建設現場で発見され、1922年から博物館で展示されていた。  【関連ニュース】 ・ 〔写真特集〕現代アート:ダイヤモンドの頭蓋骨!? ・ 〔写真ニュース〕伝説的海賊シュテルテベーカーの頭骨 ・ 【こぼれ話】頭蓋骨を競売に=ブッシュ前米大統領も会員の秘密結社 ・ 【こぼれ話】頭蓋骨を祭るのはやめて=カトリック教会が訴え ・ 【

  • サーチナ-searchina.net

    2020-08-30 22:12 日はなぜ街歩きが楽しいのか・・・そうか! 看板の「顔面偏差値」が高いからだ=中国 中国メディアは、「日はどうしてこんなに街歩きが楽しいのか」と題する記事を掲載し、見ているだけで楽しくなる日の看板の数々を紹介している。(イメージ写真提供:1・・・・

  • 河南の墳墓「曹操の墓」と断定…遺骨を確認・副葬品の数々も(サーチナ) - Yahoo!ニュース

    河南省政府で文化財の保護・管理を行う部署の省文物局は27日、安陽市安陽県の安豊郷西高穴村の「曹操高陵」を、国時代に活躍した曹操(155−220年)墓と断定したと発表した。「曹操高陵」内部からは、60代男性のものとみられる遺骨も見つかった。 27日付中国新聞社電によると、河南省政府で文化財の保護・管理を行う部署の省文物局は同日、安陽市安陽県の安豊郷西高穴村の「曹操高陵」を、国時代に活躍した曹操(155−220年)の墓と断定したと発表した。「曹操高陵」内部からは、60代男性のものとみられる遺骨も見つかった。 曹操の墓と伝えられている陵墓はほかにも多く、安豊郷西高穴村の“曹操”高陵を「根拠のない伝承」と疑う声も多かった。河南省文物局の陳愛蘭局長によると、墓の規模や状況などが当時の記録と合致し、内部の壁画も後漢末から魏の時代のものと判断できた。 最も有力とされた証拠は、「魏武王」との文字が刻ま

  • ヒットラーの亡骸を盗んだのは誰? 真実が明かされる。

    ずっと謎だったんです。 ヒットラー、エヴァ・ブラウン、ゲッベルスの亡骸がどうなったのか。この度、ついにKGBがベルリンで亡骸を発見した後どうしたのかという事が、ロシアによって発表されました。 彼らは1945年5月に亡骸を入手し、Magdeburgにあるソ連の駐屯地に埋めました。そして、1970年、彼らは駐屯地を東ドイツに引き渡す事になったので、亡骸をどうするのか判断を迫られました。 その頃、KGBはヒットラーの埋葬地がファシズム支持者の聖地になってしまうことを懸念していたので、KGBの局長ユーリ・アンドロフは党執行部にサポートしてもらい、ヒットラー、エヴァ・ブラウン、ゲッベルス、ゲッベルスの家族の亡骸を掘りおこすように命じました。そして、亡骸はShoenebeck郊外に持って行かれ、たき火で焼かれ、すりつぶされて灰になり、Biederitz川に撒かれ完全に葬り去られたんだそうです。 ただ、

    ヒットラーの亡骸を盗んだのは誰? 真実が明かされる。
  • Militaryphotos.net

  • Classical Airplane Museum 古典航空機博物館 中島飛行機物語

    第二次大戦以前のクラシックプレーンを小池繁夫氏の描く精細で素晴しいイラストとショートストーリーで紹介します。 ライト兄弟がフライヤー号で飛行に成功したのが1903年です。 それから100年余りで、航空機技術は凄まじい勢いで発展しましたが、飛行機の黎明期からのレシプロエンジン飛行機の姿に、独特のクラフトマンシップを感じます。 民間機は勿論、軍用機さえも兵器という捉え方を超えて、新しい技術・未知の世界へ挑戦するアグレッシブな技術者の姿がそこにイメージされます。 そういった人達の集団である中島飛行機には、戦前1917年から1945年までの短い歴史の中に、熱い感動の物語がきっとあったと思います。 また1938年の航研機による世界長距離飛行記録樹立の物語も、関係者の純粋な挑戦の姿が浮かび上がります。 このホームページでは飛行機のイラストとともに、世界の航空博物館の訪問記等を通じて、レシプロ機の美しさ

  • 発見続く旧日本軍の潜水艦:「潜水空母」や、真珠湾の「最後の1隻」 | WIRED VISION

    前の記事 iPhoneは大学教育をどう変えるか:具体例をレポート サルの鳴き声に「文法的規則」を発見 次の記事 発見続く旧日軍の潜水艦:「潜水空母」や、真珠湾の「最後の1隻」 2009年12月10日 Nathan Hodge PHOTO: NOVA/Ingo Bauernfeind、サイトトップの画像は「炎上する米海軍戦艦『アリゾナ』。Wikipediaより 真珠湾攻撃[1941年12月8日未明(日時間)攻撃開始]から70年近くが経とうとしている今、研究者たちは、停泊していた米艦隊(『Battleship Row』)に日軍が攻撃を仕掛けた際に、特殊潜航艇(甲標的)がその任務を達成できていた可能性があることを示す、新しい証拠を発見したと考えている。 潜水艇によるテスト潜水を行なっていた海洋研究者たちが、真珠湾に近い海底に、奇妙な鋼鉄の残骸を見つけた。PBS(全米公共テレビ放送網)のテレ

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