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ブックマーク / www.tapthepop.net (2)

  • 久保田早紀の「異邦人」を見事なアレンジで大ヒット曲に仕上げた編曲家とプロデューサーの力技

    1979年10月に発売された無名の新人シンガー・ソングライター、久保田早紀のデビュー曲「異邦人」が誕生した陰にはすぐれた編曲家、萩田光雄によるプロの仕事があり、そこにはプロデュ-サーの力技が大きく関わっていた。 当時からこの作品のアレンジに対する評価は、同じプロの編曲家の間でも高いものだった。 最近もアレンジャーの森俊之が自身のツイッターで、こんな感嘆をつぶやいていた。 久保田早紀さんの異邦人の弦アレンジがあまりに素晴らしくて、やられっぱなし。原曲の編曲は萩田光雄先生。最も尊敬する日の編曲家のお一人。何という印象的で耳の残るイントロ。そして必要不可欠な音だけで構成されたミニマリスティックなアレンジ。あの時代の歌謡曲は当に素晴らしい。 — 森 俊之 (@Toshiyuki_Mori) May 13, 2013 「異邦人」はシルクロードの映像を使った三洋電機のカラーテレビのコマーシャル・ソ

    久保田早紀の「異邦人」を見事なアレンジで大ヒット曲に仕上げた編曲家とプロデューサーの力技
    Dursan
    Dursan 2016/10/09
    久保田小百合=久保田早紀な、文章中に明言されてないから書くけど
  • 大瀧詠一が初めて細野晴臣の部屋に入った瞬間、思わず発した言葉とは?

    細野晴臣と大瀧詠一がはじめて出会うのは1967年の春先のことだが、きっかけはもう一人の友人との出会いだった。 その前年の秋、立教大学のキャンパスにある待ち合わせ場所で、細野は指定されたベンチに座っていた。立教高校時代からの友人から、「経済学部におまえみたいに音楽にうるさいやつがいるんだ、紹介するよ」と言われていたからだ。 やがて友人に連れられてやってきた男は、ポツリと「中田です」と名乗った。それからお見合いのような形でボソボソと、探りあうような会話が始まった。 「いまどんなの気に入ってるの?」 「うーん、ポール・サイモンなんか、けっこう」 ――おっ、こいつはできるな。 「ちいさい秋みつけた」や「めだかの学校」「夏の思い出」などの作曲家、中田喜直の甥にあたる血筋に生まれた中田佳彦はギターが上手で、アソシエーションなどのソフト・ロック系にも詳しかった。 お互いの音楽への関心がわかって意気投合し

    大瀧詠一が初めて細野晴臣の部屋に入った瞬間、思わず発した言葉とは?
    Dursan
    Dursan 2014/11/03
    えーと、本日の大喜利会場はこちらですか?
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