ブックマーク / blog.szk.cc (3)

  • それでもまだ成長期

    最近、あるデータを見ていて気づいたのだけど、こと働き方に関して言うと、自分の世代とその下の世代を比較したときに、僕らは「好きなことを仕事にしたい」「リーダーシップや決断力のある上司が理想」という傾向が強いようだ。サンプルの偏りとか調査設計の問題はあるにせよ、どことなくイメージが浮かぶ結果だと思った。なんといっても、自己主張することと、自分を軸に考えることが結びついているのだと思う。 それは同世代から少し下くらいまでの人たちを見ていても感じるところだ。SNSでも隙あらば自分語りが展開されるし、「セルフブランディング」なんて言葉も飛び交っていた。心理学的には承認欲求の中でも「称賛獲得欲求」というのだけど、世の中の立場がどうあれ、まず自分に注目を集めたいし、称賛されたいという意思の強い人が目立つ。ちょうどベンチャーブームだとかSNSの登場だとかが重なった20世紀末から21世紀初頭にかけての動きが

    それでもまだ成長期
  • デザインだけが批判たりうる

    批判的な思想の弱さ この数年、というかコロナ禍以後、「思想」というものに対してまったく期待が持てなくなっている。個別の思想の内容に、ではない。ほんとうなら、何かを伝え、誰かと別の誰かをつなげるはずの言葉が、誰かを傷つけたり、というより、傷ついたぞ、どうしてくれるんだと詰め寄られたり、そのせいで人々がいがみあったりするものになっていることに辟易している。あるいは、ちょっとした言葉尻を気にして「そういうこと言うとまた炎上するのでは」と怯えたり、センシティブになっている人を見かけたりするのも苦しい。 まず確認しておきたいのは、ここでいう「思想」はいわゆる哲学とか現代思想とか、あるいは文化人類学や精神分析、宗教学など、とりわけ人文系の学問と関わりの深い理論的な思考のことを指している。だから、個人の経験に基づく信念とか、世の中を生き抜く知恵みたいなものとは違って、「役立つ」ことを必要としていない。強

    デザインだけが批判たりうる
    ET777
    ET777 2024/07/06
  • 「地雷」が多すぎる

    すっかりが読めなくなっている。 忙しいからではない。自己啓発に毒されて仕事に全力を出すのが癖になっているからでもない。 原因は、現代の情報過多だ。 この社会では、どんな商品に出会うときにでも事前の評価がついて回る。であれば「新刊紹介」などのようなプロのレビューがその代表だ。リアル書店を歩いていて偶然出会うもあるだろうけれど、それすら「あの作家の最新刊」とか「屋大賞ノミネート」とか「ネットで100万人が泣いた」とかの周辺情報が、判型の3割、4割を覆うように貼り付けられている。 そうするとこちらも、あらゆるを色眼鏡で見てしまうようになる。レシピですら「味の素使ったっていいじゃん、美味しいよね」とか「丁寧にひいたお出汁は日文化だよね」という強い思想を自分の中に確認しないと手に取れない。 そう、誰が気にするでもないのに、どんなを開いても、それが事前の情報によって文脈付けられていて

    「地雷」が多すぎる
    ET777
    ET777 2024/07/06
    チャーリーさんだ
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