2007年3月10日のブックマーク (2件)

  • 寺山修司の「路地」論 - mmpoloの日記

    「三上のブログ」の三上さんが「路地」に興味を持っていると書かれていた(http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20070304)。寺山修司も晩年「路地」に関するを出す予定で、目次も作っていたとコメントしたら、その目次を知りたいと言われる。 杉山正樹「寺山修司・遊戯の人」(河出文庫)より。 席につくとすぐさま、かれ(寺山)は「路地」の執筆意図を説明しはじめた。(中略) ーーぼくらがふつう路地というと、両手を伸ばすとどちらかが塀に触れる幅だよね。ところが日の近代はそういうものをどんどん無用化し封鎖してしまい、道は人間中心から車中心になって、散歩という思想を切り捨ててしまった。だから、人間が通れる道についてもういっぺん観察して、そこから人間の捉え直しをしてみてもいいんじゃないかと思った。文学や映画に描かれた路地あたりをひとつの手がかりにして、消えてゆく路地について考

    寺山修司の「路地」論 - mmpoloの日記
    Emmaus
    Emmaus 2007/03/10
  • 路地的なるもの - 記憶の彼方へ

    今朝、出勤途中、毎朝散歩の復路になる道で車を一時停車してフロントガラス越しに藻岩山を撮った。 写りの悪い下手な写真だ。自分が今住む町の見慣れた風景の一部が写っている写真を見ながら、月島からも消えかかっている路地のことを思った。路地とは他人どうしが絶妙の距離で支え合う親密な空間と言えるだろうか。 これは2月9日に中山さん(id:taknakayama)が撮ってくださった月島のとある路地で心を奪われている私の姿であるが、そうして実際に月島の路地をほんの少しだけだが体験したとはいえ、路地は私の中では想像上の空間でしかない。 そもそも今まで住んだ場所にはそのような空間はなかった。しかし、空間はなかったが、あるタイプの年配者の言動にそのような空間を彷彿とさせる他人との距離感、路地感覚、「路地的なるもの」を感じ取ってきたことも事実だ。 だから、初めて訪れた場所で「何か」が決定的に欠けているというある種

    路地的なるもの - 記憶の彼方へ
    Emmaus
    Emmaus 2007/03/10
    「路地」にonしながら沿いinしながら居る