2019年6月19日のブックマーク (1件)

  • えんどう豆のさやを剥きながら - Emmausブログ

    梅雨にしては晴れ間が続いている。友人らと音楽の話しをしていた。どういう話の流れだっただろうか、「人生の最後に聴きたい曲は何か」という話題に行き着いた。人生の最後という言葉が日常を超えたフレームとして際立っていたが、居合わせたものはそれぞれの思いで自由に話をしていた。それはそれでなるほどだと感心しながらそれらの話をぼくも聞いていた。 さて、ぼくにおはちが回ってきた。ものごとには確かに始めがあれば終わりはあるのだが、ちかごろのぼくはとりたてて末期を意識することもなく、ごくふつうに楽観も悲観もなく<今のこの時が最後>と思うようになってきている。これはやはり、患いついた為だろう。だから、今の時をあえて度返しにして「人生の最後に聴きたい曲」といっても、今聴きたい曲が謂わば最後に聴きたい曲だということになる。 たとえていうと、死ぬ前に最後にべたいものはと聞かれても、今べたいものがそれに他ならないと

    えんどう豆のさやを剥きながら - Emmausブログ
    Emmaus
    Emmaus 2019/06/19
    えんどう豆が最後に食べたいものだとしてもOK