アメリカ大統領選挙まで2か月余り。民主党のハリス氏と共和党のトランプ氏の経済政策にはどのような違いがあるのか。日本経済に与える影響についてもお伝えします。
浦添市教育委員会発行『琉球王国評定所文書』 下記の通り、浦添市教育委員会の協力を得て、琉球王国交流史デジタルアーカイブの公開資料に『琉球王国評定所文書』(1~18・補遺別巻等)を追加いたしました。なおPDFの公開は著作者の承諾が得られたものに限り、第1~3巻についてはテキストデータも公開しています。 今後とも琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブをご活用いただきますよう、よろしくお願いいたします。 また、よろしければ本デジタルアーカイブへのアンケートにご協力ください。 【令和4年8月4日付け公開資料】 1 琉球王国評定所文書 第1巻(巻頭論考および解題含む22件、30.2万字) 2 琉球王国評定所文書 第2巻(巻頭論考および解題含む26件、27.7万字) 3 琉球王国評定所文書 第3巻(巻頭論考および解題含む16件、26.2万字) 4 琉球王国評定所文書 第4巻(巻頭論考および解題
徳川家とゆかりのある酒々井町上本佐倉の浄土宗の寺院「清光寺」(福田大和住職)で、江戸幕府との関係性などを示す書状の写しなど多数の古文書が見つかっていたことが2日、町などへの取材で分かった。昨秋の台風で甚大な ・・・ 【残り 932文字、写真 1 枚】
ペリー艦隊の黒船が横須賀・浦賀沖に来航した嘉永6(1853)年6月当時の江戸幕府の混乱ぶりを風刺した狂歌「泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん) たった四はいで夜も寝られず」が、黒船来航直後に詠まれたことを示す書簡がこのほど、東京都内で見つかった。この狂歌は関連史料が明治時代までしか、さかのぼれなかったことから「明治人の作ではないか」との説が10年ほど前から出され、最近ではほとんどの教科書から消えていた。発見者は、新史料によって旧来の説が正しかったことが裏付けられたとしている。 発見したのは元専修大講師で横須賀開国史研究会特別研究員の斎藤純さん(62)。同研究会が編集し、横須賀市が発行する研究誌「開国史研究第10号」で経緯を報告している。 それによると、書簡は1853年6月30日付で日本橋の書店主山城屋佐兵衛が常陸土浦(茨城県)の国学者色川三中(みなか)にあてたもの。異国船(黒船)の件で
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
大阪の大学に所蔵されている史料が、弘法大師の直筆を写し取ったものである可能性が高いことがわかりました。そこには、本当に「筆の誤り」があるそうです。 平安時代初期、高野山を開いた弘法大師空海。真言宗の祖として知られていますが、傑出した書家でもありました。その素養の高さを示す新たな史料が今年、大阪で確認されています。 羽曳野市の四天王寺大学に所蔵されていた「拓本」。筆跡などから、弘法大師の直筆を版木で写し取ったものである可能性が高いということです。 京都にいた弘法大師はある時、嵯峨天皇から服を織るための綿と漢詩を贈られます。今回の拓本に書かれているのは弘法大師が即興でお礼と返答の詩を書き上げ、使者に託したものだとみられていますが、そこに実は…『弘法も筆の誤り』が?「どんな名人でも失敗することがある」ということわざ通り、本当に誤りがあったというのです。 「闕字(けつじ)を置かないといけないのに忘
先日、実家に帰った際に亡くなった祖父の残した戦争時の手記を父が書き起こしたものを見せてもらいました。父がその手記をまとめた時に私はまだ小学生で、全く興味を持たなかったんですが、今見てみるととても面白く、手記の主人公である「俺(祖父)」(昭和十六年当時二十八歳)に感情移入して一気に読み終えてしまいました。 内容は祖父が戦争で大活躍をするわけでもなければ映画で描かれるような戦場に居合わせるわけでもありませんが、(だからこそ孫である私が存在しているわけですが)現地の意外といい加減な雰囲気や食べ物の美味さや匂い、仲間との失敗談などがとても身近に感じられ、それと同時に戦争時の過酷な状況にも驚きました。 祖父は筆まめな人で戦争から戻ってからこれを書いたそうですが、元々他人に見せるものではなかったのか、今読んでも軽い文体で読み易く、このまま消えてしまうのは勿体無いので、たいした量ではないんですが、少しず
ソウル市とソウル大学人権センター(ソウル大学チョン・ジンソン教授研究チーム)は、73年前に中国の雲南省松山で捕虜として捕らえられた朝鮮人慰安婦を撮影した白黒映像を5日に発掘し公開した。今までは英国の帝国戦争博物館が所蔵した中国人慰安婦を撮った2編の動画が公開されていただけで、朝鮮人慰安婦を実際に撮影した動画が確認されたのは今回が初めてだ。 研究チームは、米中連合軍164通信隊写真隊所属の写真兵が撮った写真を追跡する過程で、エドワード・ペイ兵長が撮ったと推定される長さ30センチのフィルムを発掘した。このフィルムの一部には朝鮮人慰安婦と見られる人々の姿が含まれていることを発見し、先に公開されていた松山の慰安婦写真と対照し、彼女たちの国籍を推定した。 1944年6月から米中連合軍は「ビルマロード」に沿って日本軍が占領した雲南省の松山、騰冲、龍陵を攻撃した。騰冲が陥落する3カ月前の戦闘過程で、日本
2016 - 05 - 08 作者の欄に「伝○○」(伝称筆者)を書くべきではないと思う 三菱一号館美術館の館長である高橋朋也さんの『美術館の舞台裏』(ちくま新書、2015)に次のような一節があります。 美術館の舞台裏: 魅せる展覧会を作るには (ちくま新書) 作者: 高橋明 也 出版社/メーカー: 筑摩書房 発売日: 2015/12/08 メディア: 新書 この商品を含むブログ (4件) を見る 日本美術の展覧会で作品紹介のプレートに「伝 ○○」と明記されているのをご覧になったことはありませんか? 例えば「伝 雪舟 」と記載されていれば、「これは 雪舟 の作であろうといわれています」という一種のお断りです。特定できない作品については、あくまで個人名記載はせず、ぼやかした表現を選択する。所蔵者・関係者に対する一種の気配りでもあり、断定するのを避けて、とりあえず判断を保留しておくことも日本的
2024.03.01 あの日の沖縄 1974年3月2日 那覇市小禄で不発弾爆発事故 2024.02.09 あの日の沖縄 【季節の話題】旧正月 2024.01.19 閲覧室の予約状況について 2024.01.10 あの日の沖縄 【季節の話題】新春に寄せて 2024.01.05 【受付は終了しました】公文書専門員(正規職員)募集について
【ニュース】 バリックパパンの日本海軍322基地に「設営班慰安所」 1942年3月11日、中曽根康弘主計中尉の「取計(とりはからい)」で開設 防衛省防衛研究所所蔵の文書に記述 高知市の平和・資料館の調査で判明 (つづきあり。「設営班慰安所」の地図です)。 中曽根康弘海軍主計中尉がアジア太平洋戦争中に「外地」で海軍の慰安所を取りはからったとして各方面が追求してきました(本人は、いわゆる「慰安所」ではないと否定してきました)。高知市升形9の11の平和資料館・草の家は、防衛省防衛研究所に、その問題に関連した資料があることをつきとめ、10月27日午前、その文書の内容を同館ホールでの記者会見で報告しました。その文書は、ボルネオ島バリックパパンの日本海軍322基地に海軍の「設営班慰安所」があったこと、それは、中曽根康弘主計中尉の「取計(とりはからい)」で「土人女を集め」、1942年3月11日に開設
食料増産のため、静岡県に「陸軍農耕勤務隊」として動員された朝鮮半島出身兵士の名簿。本籍や氏名、所属先などが記録されている=竹内康人さん提供(一部画像を加工しています) 太平洋戦争中に朝鮮半島から動員された軍人・軍属約26万人の全配属部隊と配置先が、近代史研究家の竹内康人さん(54)=浜松市=の調査で明らかになった。日本政府が韓国政府に引き渡した軍人・軍属関係の名簿を調査した。朝鮮半島出身の軍人・軍属は人数や配属地など詳細が不明だったが、アジア・太平洋全域に配備された全体像が初めて判明した。多くの犠牲者を出したニューギニア戦線で朝鮮半島出身者が配属された全部隊名と人数など、初めて明らかになった事実も多い。【扇沢秀明】 竹内さんが調査した名簿は、旧陸軍「留守名簿」(16万148人)▽「工員名簿」(2102人)▽「軍属船員名簿」(7046人)と、旧海軍「軍人軍属名簿」(10万778人)。旧陸海軍
別件で上京した機会をとらえて、防衛省の防衛研究所史料閲覧室でなにかおもしろそうな史料はないか漁ってきました。 ちょっと使い勝手は悪かったですが、あそこはあそこで宝の山ですね! ぜひまた漁りに行きたいですね。旧軍関係者の回想録とか文書とかあそこ(一部東アジア歴史資料センターにもあるが、やっぱ史料閲覧室の方が豊富かね)にしかない史料がいっぱいって感じ。 あまり多くは読めなかったけど、その中でも特に「折田貞重大佐回想録」がお勧めかな? とても興味深いことがたくさん書いてあります(あと当人がすごいやる気になって書いています)。一部コピーしてきたので、そのうち著作権に反さない限りの引用で紹介します。 それはそうと、以下の二つのような防衛研究所の奇妙な対応も体験してしまいました。 ・閲覧不可になった毒ガス戦史料 日本軍毒ガス作戦の村―中国河北省・北坦村で起こったこと 作者: 石切山英彰出版社/メーカー
중앙일보 일본어판 サービスをご利用中のお客様にご迷惑をおかけして申し訳ございません ホームに戻る Copyright by Joongang ilbo Co.,Ltd. All Rights Reserved.
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く