前回書いている途中で、アマゾンとトーハンの取引が来年1月7日から開始されるというニュースが流れたので、この際だから日販とトーハンのことも書こうと考えていました。ところが更新した翌日の31日に、大阪屋の大竹深夫社長が新体制と今後の計画などについて会見を開いたので、もう1回だけ大阪屋のことを書くことにします。中公文庫には塩谷賛著『幸田露伴』という伝記の名著がありましたが、全4巻が上、中、下の1、下の2の構成なっているので、それにならって今回は「下の1」にします。 大阪屋、新たに「執行役員会」創設へ=新文化ニュースフラッシュ執行役員会が船頭多くして船山に上るにならないことを祈っていますが、記事のポイントを二つに絞ります。一部引用します。37億円の使途・目的は、本社売却益約40億円と合わせて債務超過分56億円を解消するためのもの。さらに情報システムなどに充てる。楽天や大日本印刷とは、取引書店で楽天
小泉孝一著『鈴木書店の成長と衰退』(論創社)を読んで初めて知ったことに書籍の統一正味が導入された経緯がわかったことがあります。大型書店やチェーン書店などに対して掛率を一律にして取次が卸すことを統一正味といいます。取次の仕入れ値である正味は、取引版元別や定価別によって細かくわかれていますが、鈴木書店が取り扱っていた専門書は仕入れ正味が高い傾向にあります。したがって、ほかの取次に比べて鈴木書店のマージンが少なかったわけです。まだ本が売れているうちは資金が回っていたのでしょうが、出版市場が縮小に転じると返品率の上昇を招き、経営破綻した要因になったことがわかりました。なぜ、13年前に経営破綻をした人文書の専門取次だった鈴木書店が、現在の大阪屋などの中堅取次とオーバーラップしてしまうかといえば、出版市場の変化と無縁ではありません。戦後の取次経営は、継続的に発行され、売上も安定していた雑誌によって成り
小泉孝一著『鈴木書店の成長と衰退』(論創社)を読了。 鈴木書店の成長と衰退 (出版人に聞く)作者: 小泉孝一出版社/メーカー: 論創社発売日: 2014/10メディア: 単行本この商品を含むブログ (1件) を見る 小田光雄さんが聞き手となってインタビュー形式で構成された「出版人に聞く」シリーズの第15弾。小泉孝一さんは、取次・鈴木書店が創業されて間もないころ入社をされ、1996年取締役仕入部長退任するまで関わっていたので、創業者の故・鈴木真一氏の人となりを知り、「成長と衰退」を自ら経験されていることが読んでよくわかりました。鈴木書店は、栗田書店(現在の栗田出版販売)、戦後、GHQによって解体させられた国策会社・日本出版配給などを経て、故・鈴木真一氏が1948年に創業し、2001年に自己破産により経営破綻をしています。鈴木書店といえば、岩波書店や筑摩書房をはじめとした人文系の版元に強いこと
ここ最近続いていたbogus-simotukareとの論争について。わたしが馬鹿でした。わたしが間違っていました。 そもそも,馬脚を露すという以前に,舞台を仔細に観察してみれば馬を演じている役者はその正体を隠す気がなかったわけです。だとしたら今更増田の指摘に従ってブクマをチェックしたところ役者の脚に気付いたというのは遅かりし由良之助であって,てめえそんなんは最初から気付いておけよ,という話であり,あれほど慎重を期した論理展開のエントリを上げる必要もなかったのであり,つまるところわたしの眼が曇っていました。まさかここまでレイシストである本性をさらけ出しているとは思わなかったため,間違った対応を取ってしまいました。猛省しています。 ということで,以下の増田で指摘されている点について。 bogus-simotukare氏ははてブでチベットを愚弄したいのか? 実際にブックマークを確認してみると,そ
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1990年代のイギリス映画を代表する作品に『トレインスポッティング』があります。これはスコットランドのエディンバラに暮らす薬物中毒やアルコール中毒といったろくでもない老若男女の日常をスタイリッシュに切り取った物語です。主演はユアン・マクレガー、あとは僕の愛するロバート・カーライルなど。監督はダニー・ボイル、原作はアーヴィン・ウェルシュ。ここに挙げた四名すべてスコットランド人。そんな素敵な映画です。 ところでこの「トレインスポッティング」というタイトルはしばしば謎を呼んできました。いったいどんな意味なのか、外国人である日本人だけではなく、当のイングランド人やスコットランド人にもよくわからない。当然、もっともらしく書かれている日本語のネット上のソースも、全て間違っているか、もしくは間違ってはいないけど正しくもない、そんなものしか見つかりません。 まず、大前提として、トレインスポッティングの辞書
ようこそゲストさん ブログトップ 記事一覧 ログイン無料ブログ開設 反戦と抵抗のフェスタ2009
いままでねちねちと(紙媒体で)書いてきた「人体の不思議展」について。厚生労働省は同展の展示物を「遺体」だと見解を示した。そのため「死体解剖保存法」に抵触することになる。京都府警も捜査へ動くという。 産経新聞が詳しい記事を書いているのでリンクを貼っておく。http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110119/crm11011902000024-n1.htmhttp://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110119/crm11011902010026-n1.htmhttp://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110119/crm11011914480236-n1.htm この問題に関しては以前から『週刊金曜日』が熱心に取り上げていた(というより、私が書いている)。特集記事になっているものは「人体の不
新風連だか在特会だかのバカもアレだが,それに「対抗」してる連中もアレだな。>在特会批判するのは構わないが>日の丸は関係ないだろう。関係なくなどありません。かれらが日の丸をシンボルマークに他民族排斥を行っているのですから。【何が問題なのか】 3.「日の丸は無関係」論、「日の丸批判はヘイト」論 - ヘイトスピーチに反対する会 つまり「アッラーフ・アクバル!」と言いながら異教徒目がけてテロを仕掛けてくるバカどもがいるのでコーランを多少侮辱してもおk,ということですね,わかります。 もし欧州かどこかで十字架を掲げた移民排斥運動が起きたら,きっと彼らはローマ教皇の写真に唾を吐いてくれるのでしょう,期待しています。 そういえば米国ではかつて肌の白いひとたちは色つきの肌のひとたちよりも優れていて特権的な地位を有するという考え方があって,今もそういうことを考えているおバカさんたちがいますが,つまりそれはそ
政治系ブログを読んでいて、首をひねることが多い。なんでかねえ。 政治系であるからして、「自分の考えを広めたい」「支持者を増やしたい」という野望に満ちている世界だけれど、「本当に増やす気があるのか?」と疑問に思うときがある。というのも狭いフィールドにしか通用しない「一元さんお断り。会員制オンリー」みたいな気持ちの悪い造語がやたらと多いのだ。本来なら広く支持者を獲得しなければなければならないジャンルだというのに。 なにしろ政治系であるから当然もめる。議論になる。議論にすらならなくて罵詈雑言が飛び交う世界(もっぱらそれが主流か)でもあるから、レッテル貼りや揶揄や中傷の道具として造語が日々生産されている。なかには出来がよくて感心させられることもあるが、まあたいていは気持ち悪い。 たとえばどんなに説得力のあるエントリに出会っても「マスゴミ」という無神経な造語をやすやすと使う文章を信用しない。もともと
山城むつみ氏の『文学のプログラム』(原著1995年)が講談社文芸文庫から出ていた。これには4つの批評文が収められている。「小林批評のクリティカル・ポイント」「戦争について」「万葉集の「精神」について」「文学のプログラム」の4つで、最初の3つはそれぞれ小林秀雄、坂口安吾、保田與重郎について主に論じている。私もこれらの文学者たちにはそれなりに関心をもってきたが、山城氏の誠実で深い読みが、失礼ながら、「文学的」なジャーゴンのように思えてくるところがあった。それよりも私が衝撃を受けたのは、日本語における「訓読のプログラム」の創出について論じた「文学のプログラム」だった。あるいは、「万葉集の「精神」について」で論じられている『万葉集』の原文とその「訓み下し」の問題に、私は刺激を受けた。 「万葉集の「精神」について」で、山城氏は、「『万葉集』が漢字のみで書かれているということ」をわれわれはつい忘れがち
はてなブックマークをFirefoxブラウザでもっと便利に使える拡張機能、「はてなブックマークFirefox拡張」が正式リリースされました。これを記念して、Mozilla Japan 様よりご提供いただいたFirefoxノベルティセットが当たる「はてなブックマーク×Firefox記念 ノベルティセット欲しい!」キャンペーンを開催いたします。 応募方法はかんたん。このキャンペーンページを自分のはてなブックマークに追加するだけで応募完了です。(はてなブックマークFirefox拡張を使ってブックマークするともっとかんたんです!) ブックマークに追加してキャンペーンに応募する! まだはてなブックマークでページを追加したことがないという方も、下記リンクからはてなブックマークを利用開始いただけます。ぜひこの機会に利用開始して、Firefoxグッズを手に入れてください。
「コクリコ坂から」は恋愛よりも家族、特に父性の物語だ。 そもそも宮崎駿自身が監督する作品には「父」の視点がものすごく希薄。一貫して母・女を描き続けている。ポニョはいわずもがな、千と千尋、トトロもそう。家族が出てくるにしても、すべて女性性との関係性の方が色濃く描かれている。 Payaoが「一貫して母・女を描き続けている」のはその通り。だがしかし『コクリコ坂から』が「父性の物語」で「『父』の視点」を描いているというのは全くの誤り、あそこにあったのは「父性を求める娘の視点」に他ならない。 そしてもっとも強烈だったのは、海が夢を見るシーン。ナウシカの子供時代の回想場面を思い起こさせるが、最後で海は死んだはずの父の胸に飛び込む。ああー、これってばポニョのラスト付近、宗介がトキ(疑似母)にの胸に向かってジャンプするシーンじゃん!アッー! この相似を指摘しているところを見ると実は本人も描かれていたのが父
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