内部告発に至るまで Aさん母校の担任 「先生、たまらんよ。かなり、つらいよ。」という電話があったのは、1993年5月頃であった。電話の主・A君は、私が担任であったクラスの卒業生である。「仕事を辞めたい」などと弱音を吐くのは、彼らしくない。それだけに、精神的にも肉体的にも追いつめられていたのであろう。「寮の電話なので………」ということで、あまり詳しい話は聞けなかったが、職場の尋常ではない雰囲気が窺われた。A君は、その年の 7月に入国警備官の職を辞した。 その後しばらく、A君からの連絡はなく、落ち着きを取り戻したのだろうと思っていた。(後で聞いたところでは、アルバイトや職探しで忙しかったらしい。) 一方、この間に、私は人権交流集会等に参加する機会を得た。そこで滞日外国人がかかえる問題、とりわけ入管には人権侵害的実態があるのではないかという報告があった。あらためて、A君のことが思い出された。彼を