2017年12月19日のブックマーク (1件)

  • それは本当に「読まれるテキスト」なのか|米光一成

    「読まれるテキストは読者へのおもてなしの構造を持っている」(以下、「読まおも」と略す)というテキストが話題になっていたので読んだ。 わー、すごい。 一面では、いまのネットの気分を的確に捉えていると思う。 それは当に「読まれるテキスト」なのかが、ぼくの感覚では、これは「読まれるテキスト」の話ではない。 「読まおも」では、まず「人間のテキストの読み方」がこう捉えられる。 ・タイトルは記事の印象の5割 ・章タイトルが残りの半分 ・文はほとんど読み飛ばされる もうこの時点で、「読まれるテキスト」じゃない。 「読み飛ばされるテキスト」である。 たとえば、雑誌を読んでいる、とき。 1:パラパラとめくる。 2:タイトル記事が眼に飛び込んでくる。 3:ほんの一瞬手をとめると、章タイトルと文のワードが眼に入ってくる。 4:気になる記事が見つかって、読み始める。 この行動で、「読んだ」のは、どれだろう?

    それは本当に「読まれるテキスト」なのか|米光一成
    Error401
    Error401 2017/12/19
    mizuchi氏は、人は「タイトルで5割、章タイトルで2.5割、のこりはそれ以外」で読む読まないを決めるのだろうと言ってるだけなのに、なぜそれが「読み飛ばされるテキスト」になるのか。