文化に関するErrorrepのブックマーク (62)

  • ポケットピカチュウとラブandベリーが同じ扱いになる、それが平成レトロ

    詳しく知らんけど、年下の間で平成レトロブームが起きてるらしい。 渋谷に平成カフェってのがあって、そこにはコンデジやデコられたガラケーが用意してある。TikTokで見た。 暇なやつは平成レトロってググって出てくる画像を見てほしいんだけど、結構年代が適当じゃない?? 「これ友達のお姉ちゃんが使ってたじゃん!」から「懐かしー」ってなるグッズまでごちゃ混ぜ。これって今の中高生には区別がついてないからだと思うんだよー 私も実際、平成一桁の出来事や流行り物って「実質昭和じゃない?」って思ってるし、平成レトロの適当さはわかる気がする。ナンジャタウンの昭和レトロだって、多分年代がザックリしてるんだろうな〜当にわからんけど!笑 でも、こうやって改めて見ると、「自分が懐かしいと思う時代」がブームになるって不思議! 平成レトロも昭和レトロも、レトロってなると別物に変化して曖昧な流行りのごった煮になるけど、逆に

    ポケットピカチュウとラブandベリーが同じ扱いになる、それが平成レトロ
  • 久川凪みたいなキャラが好き。

    SB69でいうとデルミン。 原神でいうとリネット。 見た目の割に達観してて世界の諸事情に精通してそうな飄々とした雰囲気を纏いつつテンション低い落ち着いた声でボソボソ喋る淡色髪の線が細い少女なんだけど社交的でも内向的でもないよくわからないコミュニケーション力というか独自の意思疎通術をもっていて妙な口癖があったり特定のニッチな趣味にこだわりがあったりする電波あるいは不思議ちゃんの要素を一部もっているがそれで他人と考えが通じ合わなかったりすることに物怖じすることなく己のペースで表現する豪胆さを備えつつも付き合いにくいコミュ障にはならない程度にわきまえててラインを調整できる賢さや察しのよさもあってお茶目なユーモアセンスもあり時として次元の壁を超えてこちら側が見えてるかのようなことを言いかねない危うさもある奇才タイプの子で一見感情の起伏も乏しく世間離れしていそうに見えてポーズ的な側面でそう見せてる面

    久川凪みたいなキャラが好き。
  • ビジネス宗教作ったら2年で年収3000万いった

    年収っていうか年商だけど。原価もそんなにかからないから年収って書いた。 こんなこと匿名でしか書けないけど何年も頑張ってきたからマジで嬉しくて誰かに言いたくて書いた。 特定回避のために用語は全部一般的なワードに置換えて書く。 どんなことしてるか概要一言で言うと新興宗教の教祖。 信者は400人くらい。 会費はないのでお布施とグッズ販売のみ。 あと信者に健康品とかを売ってて(合法だぞ)、 それで全部合わせた金額から経費を除いてだいたい3000万。 宗教法人じゃないから半分くらい持っていかれるけどな…… どうやって始めたか元々宗教とかには全く無縁だった。そりゃ墓参りとクリスマスくらいはやるけど。 街中で新興宗教の勧誘を見るとうわぁ……って思ってた。たぶん普通の感覚だと思う。 やろうと思ったきっかけは、某首相暗殺事件後ニュースでフォーカスされた3000万円のとか壺とかを見て、これめっちゃ儲かるな

    ビジネス宗教作ったら2年で年収3000万いった
  • 折り紙 美しさを超えて | NHK

    長野県大町市に住む折り紙作家 布施知子さん。 これまでに制作した作品は国内だけでなく、世界中から評価され注目を集めています。 今、制作した折り紙の技術教育や産業などさまざまな分野の可能性を広げています。 彼女の折り紙の世界を取材しました。 「無限折り」「螺旋」「コイル折り」 世界的に評価を受ける作品たち 流れゆく川を表現した、この作品。 実はこれ、20メートルの1枚の紙から出来ています。 無数の折り目を、複雑に重ねる「無限折り」という技法で作られました。 制作したのは大町市に住む折り紙作家の布施知子さん。 37年前に、自然に囲まれた山あいの古民家に移住し、個性あふれる作品を世に送り出してきました。 何重にも細かく規則的に折り続けることで生み出す「螺旋」。 筒状にした紙を、つぶしながら折り込んだ「コイル折り」 その作品はヨーロッパ各地で個展が開かれるなど、海外からも高い評価を受けています。

    折り紙 美しさを超えて | NHK
  • 新しいキャンパスがすげえ立派だった

    大学時代、俺の行ってた学部はひとつだけ独立したキャンパスを持っていた もともと別大学だったのが統合されたので、前大学のキャンパスをそのまま使っていた感じだ キャンパスがある場所はまあ山で、「何もない山奥」というにはそれなりにものがあるんだけど、しかし他の街中にあるキャンパスと比べるとかなり見劣りする立地だった そこは彩都という街で、彩都はバブル時代にガンガン山を切り拓いて計画都市の高級住宅街をやるぞー!つって途中まで景気良くやってたんだけど、バブル崩壊かなんかで計画がオシャカになってしまって、全てが途中で投げ出された……みたいなストーリーを持っていた これは俺が人から聞いた話を適当に脳内補完したものなので、全然間違っている可能性アリ 背景はとにかく実際のところ、彩都はでかいマンションやいい感じの住宅街がフツっと途切れて途中からただ切り拓かれただけの更地になり、更地の先は切り拓かれてすらいな

    新しいキャンパスがすげえ立派だった
  • オタク趣味っていつから一般受けするようになったんだ

    今24歳の世代なんだけど、 中学の同級生とかがインスタにApple Musicのプレイリストとか載せててさ 見たら、ボカロとかアニソンとかもちょいちょい入ってるんだよね けいおんとかラブライブとか一昔前の曲を敢えて選んでる子もいる なんかそういう平成のアニメアニメした曲が逆に良いみたいなことになってる でもそういうアニメが流行ってた当時、絶対その子達は見てないんだよ 運動部の子はボカロなんか絶対聞かなかったしなんならキモいっていう風潮あった、ラブライブとかの曲もそう 何がどうなって今現在「ボカロもいいね🎶」ってなってるんだろう 今高校生とかの子は1軍女子でもボカロ系の曲聞いたりするのかなあ

    オタク趣味っていつから一般受けするようになったんだ
  • ミネラルショーに行ってみたんだが行かなきゃ良かったかもしれない

    一日にして月の手取りの半分超が吹っ飛んだんだが。 しかも全然後悔してない。かなりまずい。 だって、ダイヤモンドとかルビーとかサファイアとかエメラルドとかトルマリンとか、名前も聞いたことないきれいな宝石とかが、「ええっ!?こんなお値段で!?」みたいな金額で買いまくれたんだよ。 いっこ1000円とか500円とかの石もあったよ。もうね、「私の目に美しければよくない???」みたいな謎の確信と共に買っちゃったよ。 この煌めきが500円??は???むしろお得じゃん???買わんでどうすんの???の精神だよ。 色が薄い?いやこの明るい色味がむしろ良いのでは?買い! インクルージョン?あっ知ってる!宝石の国でやってたやつ!個性ってことでしょ?ステキやん!買い!! その宝石としてスタンダードな色味からは外れてる?それがどうした?(私にとって)美しいかが全てだ!買い!!! この連続よ。 今数えたら合成でないルビ

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  • そもそも、過去の大作しか飾らん美術館って存在価値あるんかな?

  • 面白かったころのITを書いてみる

    単体テストというのは、画面を手動で操作してスクリーンショットを撮る仕事だった。エクセルで仕様書を書き、レビューをしていたが、レビューアーはテストケースよりも、枠線の整え方に気を配っていた。 誰かが自動テストを導入しようと言い出した。「再現性がある」「保守性が高まる」「もっと良くなる」と口々に言われていた。 でも、テストコードを開発する工数はどうするのか、開発コードが増えればさらに大変になるのではないかと不安があった。 それでも、これが実現すれば、何かが大きく変わる予感がした。 アプリケーションフレームワークはStrutsだった。フォームをポストする瞬間にカオスが生じ、50行の無駄なコードを書き、100行の読みにくいコードを理解することが技術者の条件だった。 ある人が「レイヤリング」という概念を持ち出し、別の誰かが「DI」と言い出した。アプリケーションアーキテクチャという言葉も登場し、ファウ

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  • 寝取られ

    人にリクエストされてイラストを描いた。自分ができるだけのことを詰めて渡して、喜んでもらえて、SNSのアイコンにしてもらえた。 その後その人は別の人にもリクエストした。それはそれは、素晴らしいイラストが戻ってきた。リクエスト主だけでなく、その人のフォロワーも大絶賛。私がイラストを渡した時とは明らかに反応が違う。私もその絵師の絵はとても好きで、その人の絵はかなり上手で自分より実力は上、私の絵とその人の絵を比べれば500人中500人が相手の絵の方を上手いと思うだろうと考えている。こんな表現をするのも烏滸がましいが、その人の実力を確かに認めているし、この状況になるのも納得。リクエスト主はそのSNSのアイコンを私の絵からその人の絵に変えた。 純粋なショックが脳天を突き抜けた。多分寝取られるのってこんな感じだ。絵に上とか下とか勝ちとか負けとか無い、みんな違ってみんないい、描きたい絵を目指して上手い人の

    寝取られ
  • 優等生的コメントばっかでつまらん五輪

    別にいつぞやのスノボー選手みたいなただ態度の悪いのを求めるわけではない 私が求めてるのは、柔道等の格闘家で「オデ、目の前のテキ、タオスダケ」のようなパワー系ガイジみたいなコメントしかしない選手がいたら面白い。 それでメダル取ったら、あるいは取れなかったらネットのコメント欄とかどうなるのかも含めて興味深い。

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  • 誰もが撮影者・投稿者になれる時代のライブ体験

    スマホでライブの様子が誰でも撮影できるようになって久しい。 その始まりがいつだったのか増田にはよくわからないが、少なくともスマホがある程度普及してからで、かつ初めは海外から始まった文化だったと思う。 いつからか個人で撮影したライブの様子がTwitterに、YouTubeにアップロードされるようになって、行ってないライブの様子を見られるようになった。 それはライブ体験をいつでも反芻することができるいい側面もあると思うが、やっぱり悪い側面が目立つよなという気が最近している。 かくいう増田もそのうちの一人であり、撮影可のライブで、好きな曲が演奏された時に、スマホを掲げカメラを演者に向けるときもあった。 ただ最近はめっきりやらない。なぜか。 単純に、何のためにライブに来てるのかが分からなくなったというか、手段と目的が逆転しているような気がしてならなくなったのと、演者へのリスペクトが足らないと思うよ

    誰もが撮影者・投稿者になれる時代のライブ体験
  • 札幌という街

    なんか最近いろんな街についてつらつら書かれてる増田を何個か読んで 札幌生まれ札幌育ちの俺も札幌について書きたくなった 観光客を連れて行くところがあまりない最近は夏は普通に暑い でも期間は短いお土産系は一通り買える でもほとんどが札幌のものじゃない → 白い恋人くらいでは? 回転寿司が美味しいスープカレーも美味しい 地元民でも好みが分かれるラーメンも美味しい これも好みが分かれる → ただ地元民は味噌バターコーンラーメンべない 最近は〆パフェというのがブーム → 個人的にはブームになる前の方がよかった 最近は価格と見た目のインフレがすごい 札幌市民はかなり標準語に近い → だからコールセンターが多い(人件費や場所代の安さも理由だが) → ただほとんどの道民が気づいていない北海道訛りが結構ある 「い↑す↓」 「コー↑ヒー↓」 「よう↑ちえん↓」 「に↑し↓○丁目」 など なんだかんだでみん

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  • 男と女で爪への執着が違いすぎる

    服にこだわったりするのは男女でそこまで違いがなくなってきた。 肌に気を使ったりするのも男性も積極的になったりしてこだわりの差が縮まってきてる。 だが「爪」へのこだわりは現状明らかに天地の差がある。 もちろん男でこだわってる人もいるけど傾向としては誤差の範囲。 「ネイルサロン」が経営として成り立つくらいだから金のかけ方もやはりすごい。 爪がちょっとツルっとするだけで何千円もする。 おしゃれというと異性へのアピールという側面や単純にみだしなみ、自分の個性の表現、自分の美の追求といろんな理由があるけど どんだけ爪がすごかろうと男は正直1ミリもなんも思わないので(一般論)男受け狙いってわけでもなく純粋に自分の美の追求としてやってる感じがする。 これ男でいうと車へのこだわりみたいな感じ? 単純な車の価値の場合は女性にモテる要素もあるというか高級な外車に乗りたい女性はいそうだけど(正直周囲にはいない)

    男と女で爪への執着が違いすぎる
  • 生涯で一番重要なアニメをひとつ挙げろ、と言われたら『新世紀エヴァンゲリオン』を挙げるしかない。

    生涯で一番重要なアニメをひとつ挙げろ、と言われたら『新世紀エヴァンゲリオン』を挙げるしかない。 私が精神科医になった動機の約20%は、この作品に感化されたせいだ。感化され過ぎたせいで、「『新世紀エヴァンゲリオン』についてレビューをまとめなさい」と言われたら今でもまとめる自信がない。 しかし、『新世紀エヴァンゲリオン』に含まれていた心理学っぽさや精神分析っぽさを振り返ることはできる。 同作品は90年代の心理学ブームやメンタルクリニックブームを踏まえていて、同時代性が強い。だから『新世紀エヴァンゲリオン』を振り返ると、当時のそうした目線を思い出すことにもなる。 90年代は「モノより心」の時代 はじめに、90年代のメンタルヘルスを巡る雰囲気について思い出してみよう。 80年代から引き続いて、90年代は精神医療語り・心理学語りがとても流行っていた。「日人は物質的には豊かになったが、心はまだまだ貧

    生涯で一番重要なアニメをひとつ挙げろ、と言われたら『新世紀エヴァンゲリオン』を挙げるしかない。
  • 欧米にいると性欲から解放されてスッキリする

    20代の男です。 向こうの女性って露出多かったり肌に密着してる服よく着てたりするじゃん? 乳首ぽつってしてたり、前の割れ目が見えてたり。 最初はムラムラして見たくなり、でも見ないようにしなきゃって戸惑ってたんだけど、だんだんどっちでもよくなってくる。見ようとしなくても視界に入ってくるからでもあるのだが、それだけではない。 そもそも、自分の親密な女性以外の女体は、ただ女体として存在するだけであって、そこに欲情すべきものは何もないということが分かってくる。ただ体の構造がそうなっていて、楽な格好をしている、それだけ。大事なのは人格。その当たり前のことに、海外でようやく気づけた。 一方、日はどうか。みんな局部や体のラインを大事そうに隠している。だから見てるこっち側も、大層なものが隠されてるんだろうな、という気がしてきて、劣情を煽られる。個人の意思ではないだろうけど、そうやって集団として女体の価値

    欧米にいると性欲から解放されてスッキリする
  • 結婚式やお葬式でハトを飛ばす会社 (1/2) :: デイリーポータルZ

    1975年宮城県生まれ。元SEでフリーライターというインドア経歴だが、人前でしゃべる場面で緊張しない生態を持つ。主な賞罰はケータイ大喜利レジェンド。路線図が好き。(動画インタビュー) 前の記事:雨も爆破も熱湯風呂も全部やる「特殊効果」の会社でビリビリ椅子を受けてきた > 個人サイト 右脳TV きっかけは「鳥ブーム」 都内から車を走らせること1時間半ほど。訪れたのは群馬県太田市。 住宅地の中に木々がこんもりとした丘があり、ナビはその中に入るよう示している。ここですか?と、車1台ほどの幅の道をそろそろと進むと……たくさんのハトたちがお出迎えしてくれた。 大きなハト小屋が2つ。左はもともと喫茶店だった建物を改装したもの 中にはたくさんの白いハトたちが! ここに違いない。こんなにハトがいるのに、ここじゃなかったらビックリする。 車から降りた我々を「こんにちは!」とよく通る声で出迎えてくれたのは、ハ

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  • 成人映画館行ってきた話していい?するね(2024.6.19追記)

    ハプニングバーの記事も書いたよ!anond:20240619185855 上野にも行ってきたよ!anond:20240528202441 追記したよ!追記したら表示文字に制限があったのか、分がぶつ切りになってしまったので記事を分けたよ。 追記部分はここを見てくれ! anond:20240524195441 ここから編というわけで、タイトル通り成人映画館(ポルノ映画館)に足を運んでみたのでその話をする。まったく知らなかった人、行ったことないけど行ってみたかったり興味がある人、行く気はないけど中身が気になる人、そんな人たちに少しでも足しになる話になれば幸いである。 ちなみに当方20代半ばの女である。女性から見た成人映画館体験記として今からエロい話をするので、お好みの美女・美少女を脳内補完して楽しんでほしい。 そもそも成人映画館ってなに?成人映画館とは、その名の通り成人向け映画をメインに上映

    成人映画館行ってきた話していい?するね(2024.6.19追記)
  • 暗黙の短歌のテーゼ

    最近の短歌に関する増田の記事とそれへの反応で気がついたのは、多くの人は歌人が共有する短歌に関する暗黙の考え方を知らないということだ。 短歌詠みの間には短歌に関する決まりごとや規範が暗黙のうちに共有されており、それを念頭に置いて歌を詠んだり、鑑賞したりする。私はこれを「短歌のテーゼ」と勝手に呼んでいる。 あらかじめ言っておくと、このテーゼは必ず守らなくてはならないルールではない。むしろ現代短歌はどうやってテーゼに沿わずして魅力のある短歌を生み出すかを試行錯誤している節がある。 だが、どんな流派であっても優れた歌人はこのテーゼを意識し、従うか対抗するかのスタンスを明確にして歌を詠んでいる。そして、そのスタンスがある程度共通している歌人同士が同じ結社の中で作歌や鑑賞をすることで歌風を確立させて行くのである。 であるから、反例となる名歌はいくらでも挙げられるであろうが、反例があることはテーゼが存在

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  • 短歌を詠むほど俳句は作れなくなる

    https://anond.hatelabo.jp/20240506061423 短歌の結社に入っていて、歌会にもよく参加していたことがあるが、元増田のような話は何度も聞いたことがある。もはや歌人あるあるネタだし、私も深く共感する。ただ、字数という点に増田はこだわっているようだが、この話題はそのようなレベルの話ではない。 多くの人は短歌と俳句が同じ短詩型文学であるから、短歌も詠めれば俳句だって作れるだろうと思いがちだが、それは大いなる誤解だ。むしろ短歌を詠めば詠むほど、俳句から遠ざかることになる。 なぜなら、両者は表現のアプローチが正反対だからだ。短歌は風景と言葉を使って<私>の情念を表す文学であるのに対し、俳句は<私>と言葉を使って風景を表す文学なのである。 短歌を詠むということは、言葉に情念を圧縮するということだ。穂村弘は短歌を爆弾に喩えたが、自分の情念を読み手の心奥深くに埋め込もうと

    短歌を詠むほど俳句は作れなくなる