2022年5月4日のブックマーク (4件)

  • 無題 - blog.922(移転しました )

    20歳の頃、アダルトビデオを人生で一度も見たことがないという男の人と親しくなった。彼は自分が痴漢に遭った話を静かに語ってくれた。自分の性自認がよくわからないようなことも言っていた。おれ、女々しいらしい、とよく笑った。恋人とのコミュニケーションとしての性接触に限定すれば賛成だが、それ以外はどうしても受け付けられないようだった。ハグは好きだが、性器接触も興味がないと言っていた。 19歳の冬にバイト先の店長から性暴力に遭い、必死で逃げ帰った後、身体に付着した精液をシャワーで一生懸命流した。20歳の冬には最寄駅のエスカレータで同じ歳くらいの男性にスカートの中を盗撮された。どちらも被害届の甲斐なしで犯人には逃げられてしまった。涙をぬぐって、マフラーを巻き直して警察署を出た。ひとりに耐え切れず、その彼に電話をかけた。私が理由を語れずとも、いつもの寝巻姿で招き入れてくれた。一緒に大根を切って、グツグツと

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  • 複数ある親愛関係の運用についての私見(リレーションシップ・アナーキー/ポリアモリーという言葉では括りきれない何かについて) - 人生、添い寝にあり!

    恋愛をやめて7年ほどが経つ。それはつまり『恋愛(≒相手からの要望であり提案)を引き受けるのをやめること』『「恋愛感情」「恋愛関係」に依拠しない、非恋愛的な親愛関係を模索すること』を実践して7年ほどが経つということだ*1。 以下は恋愛をやめる直前に書いた記事である。 独占しない関係について - blog.922(移転しました ) (hatenablog.com) 今と異なる部分もあるにせよ、《「相手の幸福のすべて=自分との関わり合い」では決してないはずで、自分が贈ることのできない類の豊かさがある》という感覚は健在である。 これを読むと、相手から「告白(恋愛感情があるという表明+付き合あおうという提案)」をされ、恋愛関係を引き受けていた頃の私はオープンリレーションシップという型がしっくり来ていたらしいことがわかる。しかし今は苦手になってしまった。それは何故かというと、「パートナー」等と名付けた

    複数ある親愛関係の運用についての私見(リレーションシップ・アナーキー/ポリアモリーという言葉では括りきれない何かについて) - 人生、添い寝にあり!
  • 独占しない関係について - blog.922(移転しました )

    何年か前、当時の恋人にむかって、封の開いたコンドームの箱を眺めながら「他の子とセックスするときに残りのやつ使いなよー」と何気なく言ったら、ものすごく嫌な顔をされて喧嘩になったことがある。 ずっと、恋愛関係と呼ばれるような他者との親密な契約関係を作るのが苦手だった。それは、少し一般論からずれている自分の感覚を言語化して目の前の相手に伝える努力を怠っていたためである。「わかってもらえない(そしてむしろ煙たがられる)」恐怖に怯え、自分の感覚を隠してきた。だから、16歳以降、まともに人間とお付き合いできたことはなかった。 私は「独占欲がもたらす苦しさ」の人生の優先度を低く設定している。そのため独占欲が結構薄い(ということになっている)。そうすると、同時期に複数の人間と恋愛・性愛関係に至る可能性を持つポリアモリーやオープンリレーションシップという概念に親和性を持ってくる。 【ポリアモリー(polya

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  • 性暴力と贈与 - 人生、添い寝にあり!

    (支離滅裂な思考のメモです でも大事な内容だと思うので公開します) 慈善事業を行う裏で地位を利用して性暴力加害を繰り返していた人がいる。被害者たちを心理的・経済的・社会的にサポートするための手立てが不十分な中、彼の周囲が「社会的制裁は受けたし更生しようとしているから許してあげるべき」「まだ若いし、でも出して再出発すれば良いのでは」とイネイブラーのような立場で安易な擁護を行っていた。 被害者たちの声を聞き続けた女性がそれを批判した上で「被害者も加害者もまともに生き直せない社会をどうしたら変えられるか」「大切なものを奪ったのだから、自分の大切なものを差し出さないと釣り合わないのではないか」というようなことを書いていた。 それを拝読し、加害行為者やその周囲が加害の事実を忘れようとする(なかったことにしようとする)社会だから、サバイバーは自分に起きた出来事に釣り合うものが見つからず彷徨うことにな

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