ブックマーク / kmnym.hatenadiary.jp (2)

  • 複数ある親愛関係の運用についての私見(リレーションシップ・アナーキー/ポリアモリーという言葉では括りきれない何かについて) - 人生、添い寝にあり!

    恋愛をやめて7年ほどが経つ。それはつまり『恋愛(≒相手からの要望であり提案)を引き受けるのをやめること』『「恋愛感情」「恋愛関係」に依拠しない、非恋愛的な親愛関係を模索すること』を実践して7年ほどが経つということだ*1。 以下は恋愛をやめる直前に書いた記事である。 独占しない関係について - blog.922(移転しました ) (hatenablog.com) 今と異なる部分もあるにせよ、《「相手の幸福のすべて=自分との関わり合い」では決してないはずで、自分が贈ることのできない類の豊かさがある》という感覚は健在である。 これを読むと、相手から「告白(恋愛感情があるという表明+付き合あおうという提案)」をされ、恋愛関係を引き受けていた頃の私はオープンリレーションシップという型がしっくり来ていたらしいことがわかる。しかし今は苦手になってしまった。それは何故かというと、「パートナー」等と名付けた

    複数ある親愛関係の運用についての私見(リレーションシップ・アナーキー/ポリアモリーという言葉では括りきれない何かについて) - 人生、添い寝にあり!
  • 性暴力と贈与 - 人生、添い寝にあり!

    (支離滅裂な思考のメモです でも大事な内容だと思うので公開します) 慈善事業を行う裏で地位を利用して性暴力加害を繰り返していた人がいる。被害者たちを心理的・経済的・社会的にサポートするための手立てが不十分な中、彼の周囲が「社会的制裁は受けたし更生しようとしているから許してあげるべき」「まだ若いし、でも出して再出発すれば良いのでは」とイネイブラーのような立場で安易な擁護を行っていた。 被害者たちの声を聞き続けた女性がそれを批判した上で「被害者も加害者もまともに生き直せない社会をどうしたら変えられるか」「大切なものを奪ったのだから、自分の大切なものを差し出さないと釣り合わないのではないか」というようなことを書いていた。 それを拝読し、加害行為者やその周囲が加害の事実を忘れようとする(なかったことにしようとする)社会だから、サバイバーは自分に起きた出来事に釣り合うものが見つからず彷徨うことにな

    性暴力と贈与 - 人生、添い寝にあり!
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