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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/nanari (2)

  • 2009-07-24 - 七里の鼻の小皺

    残念ながらまだ見ることができずにいるのだけれど、いままでに目にした議論から推測して、『ヱヴァ:破』の感想を走り書きしておきます。 まず、『破』は二次創作だからいいのだという評価も、また二次創作だからいけないのだという批判(原作レイプ云々)も、同様に問題をとりのがしている。重要なのは、『ヱヴァ』が(そして結局は『エヴァンゲリオン』が)二次創作とならざるをえないことの必然性を、どの程度フィルムが体現しているかという点にほかならない。実際『ヱヴァ:破』は、『エヴァンゲリオン』というプレテクストの存在を露骨に前提としており、その意味で二次創作であることを隠さない。このプレテクストにほどこされた操作は、しばしば指摘されているとおり、どこまでも換喩的なものだ。鶴巻は、物語の連辞関係を保ったまま(襲来した使徒をエヴァで倒すという骨格は変わらない)、範列関係にある要素を置換することで、物語を横滑りさせてい

    FFF
    FFF 2009/07/26
    摩砂雪は波を見ている
  • 七里の鼻の小皺 - 対象をもたない愛(1)――「萌え」・「大切な何か」・『トップをねらえ2!』・『Anisopter』

    対象を失った愛は、涙の国の極限でわれわれに明日を与える。この世では手に入らないものを愛していると自覚しながら、なおこの愛のための抜け道を人生のなかに探すとき、われわれは、結局は一度も与えられなかった世界、輝かしい無償性を受け止めてくれるはずだった世界の可能性を生き始める。「萌える」とは、対象をもたない愛の感情である。その強さは、愛の不可能性を恥じながら、結局は何も諦めきれないだろう自分への矜持を辛うじて持続させようという意思に、遠い理由をもっている。この愛が、自分の心の内に根を降ろしていて、そしてまた、自分自身の他には行き着く先をもちえないだろうという意識のうちに、「萌える」という単語の植物的自発性が慎ましく場所を得ているのだ。「萌える」という言葉については、重要なことはまだほとんど何も言われていない。人々はあまりにもしばしば、この言葉について比喩的に語り、類似性のうちにそれを見失ってきた

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