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2021年4月1日のブックマーク (4件)

  • 「八百長野郎!」禁句連発、レフェリーに暴行で元横綱・北尾光司が暴走… 対戦相手テンタが語っていた30年前の真実(堀江ガンツ)

    今からちょうど30年前、プロレス史に残る“事件”が起こった。 メガネスーパーが多額の資金を投入して設立したプロレス団体SWSが、1991年4月1日に開催した神戸ワールド記念ホール大会。元横綱の北尾光司が、WWE(当時WWF)のジョン・テンタ(ジ・アースクエイク)と対戦した際、不可解な“セメント暴走”を行なった挙句、レフェリーに暴行。反則負けの裁定が下されると、場外からマイクを使いテンタに向かって「八百長野郎! 八百長ばっかりやりやがって!」と禁句を連発。この暴言が原因となり、SWSをわずか5カ月で解雇となってしまったのだ。 SWSがわずか2年2カ月で崩壊する引き金にもなったと言われるこの事件。北尾はなぜ突然“暴発”し、あのリング上では何が起こっていたのか? 当事者である北尾とテンタはすでに鬼籍に入っているが、筆者が生前のテンタに行ったインタビューや、周囲のレスラーたちの証言から、北尾光司v

    「八百長野郎!」禁句連発、レフェリーに暴行で元横綱・北尾光司が暴走… 対戦相手テンタが語っていた30年前の真実(堀江ガンツ)
    FUKAMACHI
    FUKAMACHI 2021/04/01
    いいオチ。「アメリカに帰ったら、話に尾ひれがついて何かものすごいシュートマッチをやったって大袈裟な噂になっていたんだ。相撲のグランドチャンピオンが仕掛けたシュートを返り討ちにしたっていう風にね」
  • コロナ禍で急増!オンラインサロンにハマる人たち | NHK | WEB特集

    今、ネット上の有料会員コミュニティー「オンラインサロン」に入会する人が急増している。コロナ禍で失われた、人とのつながりを得られる新たな「居場所」となる一方、サロン内の閉じた世界ゆえに「まるで宗教のようだ」と指摘する声もある。何が多くの人々をひきつけているのか?危険はないのか?実情に迫った。 (追跡!オンラインサロン取材班 田隈佑紀、秋山度、中松謙介、上田ひかり) 「気で弱音がはける。ありがたい場所です」 大手人材サービスの会社に勤め、千葉県でと2歳の娘と暮らす櫻井諒さん(37)。 実業家が主催するものなど3つのオンラインサロンを掛け持ちしている。 オンラインサロンとは、インターネットを利用した有料の会員制コミュニティー。趣味のサークルや実用的なスキルを学べるものなど、多くが月額数千円程度を支払い、実名で参加する。 サロン内部のことは原則公表しないのがルールで、ここでしか知りえない情報を

    コロナ禍で急増!オンラインサロンにハマる人たち | NHK | WEB特集
    FUKAMACHI
    FUKAMACHI 2021/04/01
    「でっかい仏壇や壺を売りつける商法2.0」って感じだ。
  • 外国人技能実習制度 違反企業マップ

    企業の「外国人技能実習制度」の利用における、反道徳的な行為の撲滅を目指すサイトです。 また、エビデンス資料に基づいて、法律違反等を行った企業をマップ上に可視化しています。

    外国人技能実習制度 違反企業マップ
    FUKAMACHI
    FUKAMACHI 2021/04/01
  • 「西成暴動」ビールが人気 就労支援きっかけで誕生―春には新工場も・大阪:時事ドットコム

    「西成暴動」ビールが人気 就労支援きっかけで誕生―春には新工場も・大阪 2021年03月31日13時31分 人気ビール「西成ライオットエール」(右)の瓶を持つシクロの山崎昌宣社長。左も大阪市にちなんだ同社のビール=1月14日、大阪市西成区 大阪市西成区で障害者らが造るクラフトビールが人気を集めている。かつて日雇い労働者らによる投石騒ぎなどで荒れた「あいりん地区」で誕生したビールの名は「西成ライオット(暴動)エール」。月約2000リットル、小瓶約6000分が出荷されるが、インターネット販売ではあっという間に売り切れ、手に入りにくい状況が続いている。 復興の姿「ビールで伝える」 米から移住の醸造家―宮城・気仙沼 製造しているのは、介護や障害者福祉を中心に事業展開する「シクロ」(西成区)。2018年4月、就労支援の一環としてビール醸造事業を始めた。「俺たちに酒を造らせたらええんや。わしらがお酒

    「西成暴動」ビールが人気 就労支援きっかけで誕生―春には新工場も・大阪:時事ドットコム
    FUKAMACHI
    FUKAMACHI 2021/04/01
    西成ライオットエール。飲んでみたいな。“「俺たちに酒を造らせたらええんや。わしらがお酒を一番よう知ってる」。きっかけは同社で作業に従事していた障害者の一言だった。”