今からちょうど30年前、プロレス史に残る“事件”が起こった。 メガネスーパーが多額の資金を投入して設立したプロレス団体SWSが、1991年4月1日に開催した神戸ワールド記念ホール大会。元横綱の北尾光司が、WWE(当時WWF)のジョン・テンタ(ジ・アースクエイク)と対戦した際、不可解な“セメント暴走”を行なった挙句、レフェリーに暴行。反則負けの裁定が下されると、場外からマイクを使いテンタに向かって「八百長野郎! 八百長ばっかりやりやがって!」と禁句を連発。この暴言が原因となり、SWSをわずか5カ月で解雇となってしまったのだ。 SWSがわずか2年2カ月で崩壊する引き金にもなったと言われるこの事件。北尾はなぜ突然“暴発”し、あのリング上では何が起こっていたのか? 当事者である北尾とテンタはすでに鬼籍に入っているが、筆者が生前のテンタに行ったインタビューや、周囲のレスラーたちの証言から、北尾光司v