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活字と電子活字に関するFeZnのブックマーク (2)

  • ネットやコンピュータを体の一部とする人に限って本をたくさん読んでいる - As a Futurist...

    As a Futurist… 人の興味は尽きることがない.いや,興味を無くした時点で人で無くなる.永遠の「知りたい」を追求するブログ. ぷろふぃ~る はてブ たんぶら~ ぶっくす にこにこ りさ~ち デジタル時代に書籍は淘汰される? 前エントリで,「ネットやPCが第6感となっている のではないか」と書いたけど,それを推し進めれば情報をすべてPCやネット経由で得ることができるように なり,またすべてPCやネット経由でパブリッシュすることができるようになるのではないかということになる. そうなれば,これまでのアナログな技術というのはどんどんなくなっていくのではないか. たとえば書籍.文字の情報伝達についてはインターネットはすでに熟練の域に達してきている一方,まだまだ これからその伝達スピードや質は変化していきそうな勢いがある.それに比べれば書籍なんてのは それが登場してから(多分)何百年も経つ

    FeZn
    FeZn 2008/12/16
     >"昔の「活字離れ」ってのは多分その裏に 「言葉で考えない人達が増えた」ということを含んでいたはずなのに,最近は現象として活字を 読んでいるかいないかだけが興味の対象になっている気がする."
  • 電子メディアと宮沢賢治

    今日は電子メディアと宮沢賢治ということでお話をしてみたいと思います。しかしいざ面と向かって、「一体両者にどういう関係があるのか」と問われたら、「ほとんど関係らしい関係はない」とお答えするしかありません。今日は「これからの賢治」というテーマに甘えて、かなり勝手なことを話すということをあらかじめご了承願います。 しかしだからといって、これが当に単なる「こじつけ」なのか、というとそうでもないのです。賢治の思索や行動の軌跡をよく考えてみると、昨今のエレクトロニクス全盛時代の、とりわけインターネットというものは、賢治にとって理想的なメディアであったのではないかと思えてくるのです。 インターネットどころかもっとずっと大昔、人間がまだ文字を持っていなかった頃、そこでは言葉を書き留める術がまだないわけですから、すべては口承で伝わっていました。しかしこれはただ「文字という技術」がなかったというだけの問題で

    FeZn
    FeZn 2006/04/25
     メディア。この視点。
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