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廃墟に関するGajuのブックマーク (6)

  • 大阪 地下鉄OBP駅に「幻のホーム」(とことんサーチ) 「ビルと直結」 夢の跡 許可基準が変更/深部に作り直し - 日本経済新聞

    大阪経済を象徴する新市街、大阪ビジネスパーク(OBP)。この真下を通る大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線の大阪ビジネスパーク駅の近くに、来ホームになるはずだった「幻のホーム」があるとの噂を聞いた。いつ、誰が、何のためにつくったのか。日の目を見ないホームとは何ともかわいそうだ。鉄道と「幻の」に目がない記者が実際に訪れてみた。幻のホームはOBPの中心に建つシンボル的ビル「松下IMPビル」の真下にあるら

    大阪 地下鉄OBP駅に「幻のホーム」(とことんサーチ) 「ビルと直結」 夢の跡 許可基準が変更/深部に作り直し - 日本経済新聞
  • 嗚呼、諸行無常!大型ホテルの廃墟が渓谷沿いに並ぶ「鬼怒川温泉」のヤバさは異常 - 新日本DEEP案内

    東京から東武特急スペーシアで片道2時間。首都圏近郊の大温泉地として名を馳せる栃木県日光市(旧塩谷郡藤原町)にある「鬼怒川温泉」。かつて昭和の時代にレジャーの王道だったベタな温泉観光もとっくに衰退し、全国各地の温泉地が寂れていく中で、東京近郊で電車で行ける範囲で現在も観光客が安定しているような場所はここ鬼怒川か、箱根や熱海くらいなのではないか。 そう言えば我々が鬼怒川温泉に来て街並みをまともに見る機会は、これまで無かった気がする。有名過ぎるし関東近県なのですぐ行ける場所だと高をくくっていたのもあったが、実際に来てみると、北関東屈指の温泉街という勝手な想像で描いた風情とは少し違っていたものだった。ベタな昭和の温泉地には付き物の土産物屋は殆ど無いし、射的屋なんかも数える程しかない。 鬼怒川温泉温泉街自体も南北に長いので、温泉街のメインが定まらずはっきりしないのもあるが、こうも土産物屋が閉まった

    嗚呼、諸行無常!大型ホテルの廃墟が渓谷沿いに並ぶ「鬼怒川温泉」のヤバさは異常 - 新日本DEEP案内
  • 廃墟と誰も居ない砂浜…鹿児島県最南端・寂れたリゾートアイランド「与論島」上陸記 - 新日本DEEP案内

    戦後沖縄県が日に復帰したのは昭和47(1972)年5月15日の事である。ご存知のようにそれまで沖縄はアメリカ統治時代があり、土在住者が沖縄に旅行に行く為にはパスポート(厳密には旅券ではなく日政府発行の身分証明書)が必要だった訳だ。今ほど海外旅行も一般的じゃなかった時代の事、土からパスポート無しで渡れる最南端の島というのが、鹿児島県に属する与論島だった。 鹿児島県最南端の島の玄関口 与論島の位置は鹿児島から南に563キロだが、それに対して沖縄島最北端の辺戸岬からは僅か22キロしか離れていない。沖縄は琉球政府という米軍傘下の統治機構として日とは別の国となっていた訳で、かつてこの間には国境線があり、人々は自由に往来する事が出来なかった。沖縄の土復帰を願う双方の住民による交流会も毎年行われ、北緯27度線の上で与論島と沖縄の住民が握手をしたり双方から狼煙を上げていたり色々やっていた時代

    廃墟と誰も居ない砂浜…鹿児島県最南端・寂れたリゾートアイランド「与論島」上陸記 - 新日本DEEP案内
    Gaju
    Gaju 2014/04/03
  • サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ

    サービス終了のお知らせ NAVERまとめは2020年9月30日をもちましてサービス終了いたしました。 約11年間、NAVERまとめをご利用・ご愛顧いただき誠にありがとうございました。

  • "軍艦島”をストリートビューで歩いてみよう

    Google では、日より長崎県長崎市高島町端島のストリートビューを公開します。 今日、公開する端島は、もしかすると「軍艦島」という名前でご存知の方が多いかもしれません。戦艦「土佐」に似ていることからつけられた俗称だそうですが、端島は、長崎港から 19 キロの海上にある小さな半人工島です。1870 年から炭鉱開発が始まり、日の近代化を支える炭鉱の町として、最盛期には 5000 人以上がこの島で暮らすほどに栄えましたが、1974 年の閉山とともに無人島となりました。 端島は、現在、島の一部について上陸が認められていますが、今回は長崎市のご協力により、立入りが禁止されているエリアを含め島全体を撮影しました。撮影には、バックパック型の撮影機材トレッカーを用い、約 2 時間程度、島内を歩いて撮影しました。 かつて人々が行き交った集合住宅の階段には、今では青々とした緑が茂り、南国風の低木にまぎれ

    "軍艦島”をストリートビューで歩いてみよう
  • 軍艦島はオーシャンビューな廃墟だった

    すっかり有名になった軍艦島だが、一応ザッと説明すると、長崎の南端に浮かぶ無人島。正式名称は端島(はしま)。明治時代から炭鉱の島として開発が進められ、幅160m、長さ480mという狭い島内に5000人もの人が住み、世界一の人口密度を誇った。昭和49年に炭鉱が閉山。まもなく無人島となり、現在のような廃墟の島となった。

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