第2に、天草コレジオは、西洋人による日本語研究の成果がはじめて本格的に出版された場でもあった。キリシタン時代の日本人にとって、はじめて出会う西洋の言語や学術を理解することが困難であったのと同様に、当時来日した西洋人にとっても、日本人の話す言葉やものの考え方を理解することは、著しく困難なことであった。元亀2年(1571)に天草氏に洗礼を授けたフランシスコ・カブラルは、宣教師にとって日本語習得が大変困難であることを、強く指摘していた。 文法を学び、また学習することによって、それほど容易に[キリスト教を]教えられると思っているのは、日本語を知らないからである。なぜなら、才能ある者でも告解を聴けるようになるのは少なくとも6年はかかり、キリスト教徒に説教することができるには15年以上を要する。異教徒に対する本来の説教などはまったく考えられないことである*1。(1595年11月23日付、ゴア発信書簡)