三沢さんが亡くなって色々と考えることはありましたし、気持ちの整理なんてしばらくつきそうにないけど、あのフライングラリアットがもう見られないと思うと本当に寂しいです。今ここに色々二十回くらい書いては消し書いては消し色々書いてみたけど、どうにも陳腐な言葉しか出てこないし、思い出を語るには早すぎるから、ただただありがとうございましたとしか言えない。ただやっぱり悲しいし悔しい。でもこの二十年くらいの間色々貰いました。本当に。俺にはやっぱ見続けることしかできないからプロレスを見続けるよ。
なんかもう、悲しいとか辛いとかご冥福をお祈りとかそういう心境には全くなれないというか、何かの冗談であろうとかしかいまだに思えないのだけど、ただものすごい喪失感だけがあるというか、まあなんだかんだいってノアは三沢さんがいれば大丈夫と思ってたのにその三沢さんがいなくなるとかやっぱり何かの冗談としか思えない。それも試合で亡くなるとか全くわけがわからない。だってあの三沢ですよ。タクシーをドロップキックで止めようとしたらタクシー飛び越してしまったという超人の三沢がですよ。いや全然理解出来ない。なんか橋本が死んだときの気持ちとは全然違う。なんかもう俺プロレス見られないかもしれない。だって今まで四天王プロレスとか見てて死んじゃう死んじゃう思ってたけど、それは死なないからそう思って見ていられたわけで、プロレスラーも死ぬと思ったら見られねえよもう。根性ないかもしれないけど、だって三沢が死ぬんだよ。あの三沢が
なんかタイトルだけ見るとアントキの猪木というフレーズが頭の中でこだまするんですけども、だいぶ真面目なプロレス本であった。つうかまあいつか読もういつか読もうと思っていたんだけど、なんとなく読めないままで文庫落ちしたんで読んでみたらば、なんか妙に複雑な気持ちになったというか一番近い感情としては寂しいが当てはまるのかなという感じの本。まあこんな気持ちになるのは解ってたし、だから基本的には裏事情みたいなのが書いてあるのはほとんど読んだことないんだけども。しかしこの本は導入部で引き込まれてしまったのでしょうがない。しょうがなく読んだ。面白かった。ウイリアム・ルスカから始まって、モハメド・アリ、パク・ソンナン、アクラム・ペールワンと猪木が生涯でたった三度だけ戦ったと言われるリアルファイトつうかシュートマッチつうか真剣勝負した時の状況を客観的に書いている…ような気もするけど、客観的つうかどちらかに分類し
■[プロレス]闘強導夢 新日。1月4日だけは結局やるんじゃん東京ドームって感じですけども、今の新日本のメンバーだけでは絶対にドームで興業出来ねえんだろうなあという感じが。昨日のテレビでやった試合で純粋に新日本だったのは中邑vs棚橋だけだったわけですけども、これが新日本だーとか言われてしまうとなんかちょっとやっぱ寂しい。相変わらず記号的というかパーツパーツは面白いプロレスの一部なんだけど、なんか繋がってないっつうか、ありがちな例えでいえば点が線になってないっつうか。しかしまあこれ、今この人たちの精一杯なんだろうし、これが好きっていう客もいるわけだろうし。とりあえず棚橋は一回ヒールやってくれればなあ。そういう問題でもないのかなあ。もったいない。天然のヒールだと思うんだけど。しかしここまでどっちが勝っても興味がないタイトルマッチっつうのもあんまり記憶にない。 ムタと後藤に関しては、後藤がムタに
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