俺が合格した大学入試の科目というと、小論文+世界史+英語で、英語が辞書持ち込み可、だった。俺の武器はといえば現代文と小論文だったわけだけれども、英語が辞書持ち込み可ということで、それはもうほとんど古文と漢文のない国語というか、「答え全部調べればわかるじゃん! なにこれ!」にほかならず、おいしすぎる組み合わせだった。その上、小論文の内容がわれながらふるっていて、歴史認識かなにかの題だったと思うが、元になる文章を完全に論破!とはいかないまでも、がっぷり四つに組んだくらいの実感はあって、字数とか展開とかも笑えるくらいビシッと決まった。 それで、今話題のカンニング事件なのだけれども、やはり辞書持ち込み可の英語の試験を思い出したりもする。するが、さて、なんだろうね。よくわかんないけど、「みんなで考えればわかることは、みんなで協力すりゃいいだろ」とか思わんこともない。辞書に載ってることなら辞書をひけば
タカハシの両親は、私たちが帰省するたびに大量の野菜を持たせてくれる。食べきるのに苦労するくらいの量だ。あまりの量にびっくりしている私に気がついたのか、最近は、野菜を詰める前にどれくらい要るのか声をかけてくれるようにもなった。 「大根は何本入れようかね」 「2本にしようかな」 「じゃあ、これは短いから4本入れておくよ」 「みかん食べるでしょう」 「うん、この袋に詰めていってもいい?」 「それは小さいからこっちの大きい袋にしなさい」 「にんじんはどれくらいにしようね」 「ありがとう、少しで大丈夫」 「少し? 20本くらいか」 「いやいやいや」 「なんだ30本か」 タカハシの両親は、私たちが遊びに行くと、いつも大量の野菜を持たせてくれる。私たちが食べきれないことも知っていて、量を控えめにもしてくれる。冒頭の写真は、そうして選りすぐられた野菜たちの中でもひときわの威容を誇っていたにんじんである。私
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