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Hate speechとHistoryに関するHODGEのブックマーク (2)

  • 近代以降の反ユダヤ主義(Antisemitismus)についてのメモ - Danas je lep dan.

    的に,前近代の反ユダヤ主義と近代のそれとの間には,連続もあるにせよ,大きな質的転換がみられる。 前近代,特に中世のそれは,キリスト教と相容れない異教徒への迫害として位置づけられる。また,彼らの独自な生活習慣なども排撃の対象となった。ユダヤ教徒の衛生観念のゆえに伝染病への罹患率が低かったことが,彼らが病気の原因であるとのデマを生むこともあった。 だが,近代以降のそれは違う。勿論その構成要素には,「儀式殺人」という中傷のように*1,前近代から連続するものもあったろうが,近代に入り,反ユダヤ主義はふたつの方面で前近代のそれと乖離しはじめる。 ひとつが,人種論の採用である。ゴビノー伯にみられるような人種論は,ナチにおいて典型的に現れたが,「宗教」ではなく「種」を問うものであったがために,それぞれの社会に「同化」*2していたユダヤ人をも狙い撃ちにした(「オルレアンの噂」のような事例もある。フラン

    HODGE
    HODGE 2009/09/21
     ”反ユダヤ主義の言説は,ユダヤ人へのヘイトスピーチという体裁をとりながら,資本主義や既存の社会体制への批判となっている場合が多かった。つまり,普遍性を求めて,「ユダヤ人」という概念が記号化された”
  • 外からつけられた紐ではなく - Apeman’s diary

    現実にドイツで行われていることは、排外思想、ヘイトスピーチへの弾圧以外の何者でもないでしょう。それは「当然弾圧されるべきものを弾圧してるだけ」というのがそちら側の主張なんでしょう? (http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20090701/1246470760#c1246750001) 昨年末の時もそうだったけれども(例えばこのエントリ)、私が問題にしたいのはまさにこういう態度。 「表現の自由」を支持する議論としてはまず「民主的な政治に不可欠」とするものがあるわけだが、それだけならば政治的な主張の自由が保障されれば足りる*1。より広範な表現の自由が擁護されるべき理由はなにか・・・? とというならばわれわれが行き着くのは「個人の尊厳」だ。多様な表現を行ないまた多様な表現を享受することが人間の尊厳にとって極めて重要であるからこそ、非政治的な表現も含めてその自由は尊重さ

    外からつけられた紐ではなく - Apeman’s diary
    HODGE
    HODGE 2009/07/16
    "ヘイトスピーチはそれ自体が人間の尊厳に対する侵害であるだけでなく、ヘイトスピーチが引き起こすマイノリティへの脱共感は大量虐殺に必要な要因だからだ"
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