ここでは改めて東電撤退問題に絞って取り上げてみる。これまでも何度か取り上げたたため、前の記事と重なる個所もあるが、菅国会事故調参考人証言の全編を通して見てみると、撤退問題で如何に巧妙にウソをついているかを暴くことができる。 例えば菅は3月15日(2012年)午前5時半過ぎに東電本店に乗り込むが、そのとき東電本店と各原発サイトを結んでいた、作動中のテレビ会議システムに気づいていて、福島原発第1サイト共つながっていたことを認識していたとしているが、明らかにウソをついている。 先ず撤退について菅仮免と吉田所長の電話から菅仮免が東電に乗り込むまでを時系列で見ておく。 2011年3月14日夕方~夜――首相官邸の菅仮免と現場の吉田所長が電話で会話。吉田所長 「まだやれます」 3月15日未明――清水東電社長から海江田経産相に電話、撤退を申し込む。 3月15日午前3時頃――菅、海江田経産相から、東電が全面