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Gameとarticleに関するHeavyFeatherのブックマーク (4)

  • 常識的に寧々さんなのは間違いないけど,あえて冷静に「ラブプラス」について本気出して考えてみた

    常識的に寧々さんなのは間違いないけど,あえて冷静に「ラブプラス」について気出して考えてみた 編集部:TAITAI 自分のゲーム人生とは一体なんだったのであろうか。 ※この画面は「マイクロソフト エイジ オブ エンパイア III」のものです 最近,そんなことをふと思うようになった。迫り来る敵を腕に抱えたライフルで撃ち殺し,ときには軍勢を率いて,幾多の敵国を滅ぼす。そんなゲームばかりを遊んできた。 ときにはネットを介し,世界の強敵達としのぎを削り,「F○ck」だとか「Su○k」だとかいう罵声を浴びながら,苛烈な勝負の世界に身を置いてきた。 とあるゲームに至っては,「天下に敵なし!」……そう思える時期さえあった。確かにあった。 ―――しかし,齢30を越えようかという頃から,集中力の衰えが隠せなくなった。「時間がない」を言い訳に,そうした自身の「ゲーマーとしての衰え」から目を背けずにはいられなか

    常識的に寧々さんなのは間違いないけど,あえて冷静に「ラブプラス」について本気出して考えてみた
  • フィーチャーから見る格闘ゲームの歴史 - うさだBlog

    # * 投げ スト2。ガードと同時に導入された対ガード兵器。これが無ければガードしていると永久にダメージをらわないクソゲーになるわけで、非常に重要な存在。しかし当時は格闘ゲームというジャンルが登場して日が浅かった事もあり、この「安定なはずのガードを崩される」事自体を理不尽な現象と捉える人間が多く、さらに投げに行く側のリスクがかなり低かった事、そしてダメージが非常に大きかった事が相まって、打撃で固めて投げに行く事を「卑怯な事である」とする風潮が蔓延、そのせいでガードを崩す手段としては満足に機能しなかった。この風潮はその後もずっと続き、通常投げはリスク上昇とダメージ低下の弱体化を受け続けた。また同時に空中ダッシュ攻撃に代表される高速中段を採用するゲームが増え、そこでは空中ダッシュ攻撃が投げに代わってガードを崩す主要な手段になったため、投げの存在感はさらに薄くなった。投げは現在も多くのゲーム

  • FIFTH EDITION: SCEと任天堂の「いつか来た道」

    日もゲームの話です。 そろそろ飽きてきた方も多いとは思いますが、歴史としてまとめると、あまりに面白い話がてんこもりなので、昨日からまとめていたゲームのエントリです。 結論からいうと、任天堂とSCEの歴史には、非常に面白い点があるので、その歴史について、です。 さて、最初は、ファミコン時代から始めましょう。 先日のエントリで、ファミコンが生まれるまでを扱いましたので、それからの続きとなります。 1983年、ファミコンと、最初に市場シェアを巡って闘ったのはセガのセガ・SG-1000でした。これはアタリVCSと似たインターフェースを持っていました。つまり、コントローラーは、スティックとボタン操作です。 このコントローラーは、そのインターフェースの問題から優れたものとは言えませんでした。ファミコンのほうが優れたインターフェースを持っていたわけです。この二つのハードの価格は同じでしたが、このインタ

    FIFTH EDITION: SCEと任天堂の「いつか来た道」
    HeavyFeather
    HeavyFeather 2006/12/18
    コンシューマゲームを巡る歴史を、ドラマチックに描いている。
  • 吹風日記 - 「ぱふぱふ」はなぜ消えたのか、聞こえない音、エロい日本のドラクエ

    ドラゴンクエストがアメリカに移植されたとき、さまざまな修正が行われました。それをつぶさに調べていくと、ドラクエというゲームに隠れた「日的なもの」の姿が浮かび上がってきます。今日は、我々を包囲する見えない文化について考えます。 だが、コンピュータやインターネットの発達が、全体として人間にどんな影響を与えるかという命題に的確に答えられる人はいないだろう。ファミコンについても、それをずっと続けて育った子供がどうなるか、まだはっきりとわかっていない。 主人公がいろいろな冒険をしたり、戦闘するRPG(ロール・プレイング・ゲーム)はたしかにおもしろい。出はじめたときは私も徹夜でやったものだが、一ついえることは、ゲームの構成そのもののなかに、また場面、場面のやり取りのなかに間違いなく文化的な要素が入っている。そして、それが必ずしも日社会の伝統的倫理観ではないことである。子供は与えられたものを当たり前

    吹風日記 - 「ぱふぱふ」はなぜ消えたのか、聞こえない音、エロい日本のドラクエ
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