2015年10月26日のブックマーク (3件)

  • 「マルセスキー」を調べていくうちに日本でのロシアパンの謎が解けていく

    大正10(1921)年 「ロシアパン」の格的な製造発売を開始(中村屋) \でかい/ https://t.co/l33FQsU92A pic.twitter.com/Herc1tBw0i — 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 25 先日の中村屋で戦前発売されていた謎のパン「マルセスキー」に関する話【結局分からぬ戦前パンの謎・「マルセスキー」って何だろう】を書き終えた後も、色々ともやもやしながらちまちま探していたところ、中村屋自身の社史みたいなページで興味深い話を確認。大正時代後期あたりからロシアパンの格的な生産を開始したとのこと。なんだかデカくて巨大な魚を釣り上げた釣り師みたいだ。 昭和6(1931)年 ロシア人菓子職人 スタンレー・オホツキーを採用 https://t.co/sVxXBAzCXF 中村屋はロシアケーキ、ロシアチョコをはじめ、オホツキー指導の

    「マルセスキー」を調べていくうちに日本でのロシアパンの謎が解けていく
    ITAL
    ITAL 2015/10/26
  • ■常見さんと駒崎さんのツィートで考えた「ひとり親家庭」

    最初に、センチメンタルな記憶を書いてみたい。 小学校の低学年の頃の話だ。 当時、同じクラスに母親しかいない友人がいて、ある時、彼は僕の持っていたミニカーを「いいなぁ。いいなぁ。俺にくれよぉ~」と冗談めかして言った。何度も言った。 そのミニカーは、僕が親からもらった少ないお小遣いで買った大事なコレクションだった。 でも、彼にあげないとなんだか悪いような気がして、迷った挙句、帰り際にあげてしまった。 帰宅すると、母親から「あのミニカーは?」と聞かれた。 「あの子にあげたよ」と答えると、「今すぐ返してもらいなさい」と叱られてしまった。 友人が「片親」と噂で聞いていた母親は、幼い僕が同情からものをあげてしまったことを見抜いていたのだ。 もちろん、その時はそういう説明を母から受けてはおらず、釈然としない気持ちと、一度あげたものを「返して」と言うつらさに揺れながらトボトボ歩き、友人宅の玄関で「お母さん

    ■常見さんと駒崎さんのツィートで考えた「ひとり親家庭」
    ITAL
    ITAL 2015/10/26
  • 科学では解決しきれない漠然とした不安 「みんなで」の不在が招いた分断――新しい市民社会はどうすれば作り出せるのか(2)

    新参者が動くとき 毛利 実際に柏の運動はニューカマーの人が多いんですか。 五十嵐 多いですね。農家はもちろん代々柏の人が多いですが、円卓会議に参加した中にはニューカマーの新規就農者もいました。 毛利 ニューカマーの意思が反映されていることが大きな違いなのでしょうか? 五十嵐 そうですね。もう少し付け加えれば、高度成長期からバブル期に至る郊外開発が進んだ時代に柏に入ってきたニューカマーの次の、ニュー・ニューカマーの世代が柏では重要になってきました。除染の活動ではまさに、2000年代以降に移ってきた人たちが非常に重要な役割を果たしたんですよね。 この時期に柏の人口増加を牽引したのは、JR常磐線の柏駅の圏域以上に、2005年に開通したつくばエクスプレス(TX)の柏の葉キャンパス駅周辺の開発です。理科系の研究科を集めた東大柏の葉キャンパスがあって、東大職員の宿舎もあり、アッパーミドル向けの住宅が並

    科学では解決しきれない漠然とした不安 「みんなで」の不在が招いた分断――新しい市民社会はどうすれば作り出せるのか(2)
    ITAL
    ITAL 2015/10/26